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あなた『泡の日々』

泡の日々

青春は泡の日々
鉛色の春に五月がまどろみ
ドアノブのスカーフが
まだ風に揺られていた

「終わりにしたいと思った。
輝いた一瞬を守るんだ。」
大好きなフレーズが 耳鳴りに変わってく

10代はイメージ 理想と希望
切り抜いた栄光のダイジェスト
土のない街に咲く
排気ガスの花の味はいびつだ

青春は泡の日々
あの島の匂いを下水管に流し
変わりたくて変わり果てた
鏡の女は誰?

「一人にして。」がなぜか
「隣にいて。」に聞こえ、
一日ずっと君を考えて過ごしたよ

喉元の奥から鉄の味
僕等の傷口は姿を変えて
天に昇っていく
「あれはなんて膨大な煙だ。」

青春は泡の日々
鉛色の春に五月がまどろみ
ドアノブのスカーフが
また風に揺られていた

0から僕等 はじめよう今夜

飲めや唄え 騒げや踊れ
同じ時代に生まれた僕等どうしさ
笑い合って分かち合って
いくつもの夜を越えよう



【解説】
今回はかなりシリアスな回になるので、
自分の気持ちに余裕がある時か、
少しでも明るい気持ちの時に読んでほしい。

10代で僕がバンドを始めるにあたり、
必ず曲として書きたいと思っていた
テーマが3つあった。
『幼児虐待』『いじめ』『自殺』
なぜこの3つなのか、
いつもニュースで
この3つの報道を見る度に
直接的に自分には関係はないのに
かなりダメージがあり、
胸が痛んでいたので、
どこかで吐き出したかったんだと思う。
スパルタンX時代に
『幼児虐待』については
僕が10代の時社会現象になった
小説“ITと呼ばれた子供たち”から
『IT』という曲を作り、
『いじめ』については後々出てくるが
『未成年への主張』という曲になり、
『自殺』については今回の『泡の日々』になった。

2011年5月11日、
タレントの上原美優さんが自ら命を断った。
あの頃、
このセンセーショナルな話題は
ニュースで大々的に報道され、
新聞でも一面を飾り、
携帯を開いても、
コンビニに行っても
そこら中でその話題を目にした。
あれは本当に社会現象的な出来事だったと思う。
あの日は不思議と
何となく道を歩いていても、
街中が煙の中にあるというのか、
モヤがかかってるような、
そんな風に見えた日だった。
そう思ったことが2番のBメロに来てる。
みんなが声に出す事を堪えて
喉に血が滲み、
彼女へ追悼を込めた
声にならない気持ちが
口から煙となって、
天に昇っている。
そんな風に街が見えた。
その日の日記は残ってる。

http://blog.asstellus.com/?eid=1631487

岡田有希子さん、
hideさん、
どこ世代にでも芸能人の突然の死があるのかもしれないが、
今回の件は自分と年も変わらない、
また笑ってる印象しかないあの子がなんで?
という疑問がどうしても拭えなくなり、
いつもだとこういった報道は
深く見ないようにしていたけど、
新聞の記事を読んでみたり、
彼女が書いたエッセイを買ってみたり、
自分なりに理由を考えてみたいと思った。
正直なことを話すが
それまでは
彼女に対して何か特別に応援していたり、
DVDや写真集を買ったりしてきたわけでもない。
バラエティで見ても
島出身で大家族の可愛い子くらいしか思ってなかった。
そんな亡くなった時に初めて彼女について知りたいと思った自分も嫌だったけど、
なぜここまでそう思ったのか。
「なぜ人は自ら命を断とうとするのか?」
彼女を通して本当に知りたかったんだと思う。

歌詞の中には
彼女が亡くなる時に
ドアノブにスカーフを巻いていた話、
その当日彼氏に
「1人になりたいから、
2時間くらい外してほしい」
と言った話、
彼女のエッセイ『10人兄弟の貧乏アイドル⭐︎』
を読んで出てきたエピソードで
印象的だった
島で道に咲く花を食べていたけど、
東京にきて道に咲く花を食べたら不味かったという話を入れている。
全部が彼女のことだと
限定的過ぎて、
言いたい事から外れてしまうので、
自分の好きな映画『GLORY DAZE』から
自分以外の人間が使うと激怒するほど
祖母の形見として大事にしていた
コップを自ら割り、
「このコップがなくなれば、
これでもう誰に使われることもない。
これで永遠に自分のものにすることができる。」
というシーンから
「輝いた一瞬を守る為に終わりにする」
という歌詞を考えた。
鉛色の春は春を色にすると
僕にはピンクではなく鉛色で、
これは確実に野狐禅の
『鈍色の青春』の影響があると思う。
10代はイメージ〜の部分も想像、
昔が良かった、楽しかったからこそ、
その切り抜きが消えないから、
今が辛く思えるということが言いたかった。
2番のサビもそうだけど、
これも別に彼女の発言でもなく、
自分のイメージも足していってる。
タイトル『泡の日々』は
映画『男はつらいよ 寅次郎忘れな草』での
リリーさんと寅さんの会話で
「私たちの存在は
あってもなくてもどうでもいいみたいな、
泡(あぶく)みたいなものだよね。」
というのがあって、
2人はテキ屋や旅芸者みたいな人たちの事を指していたけど、
個人的には
「僕も含めて、
実はみんなも泡なんじゃないか」
と思ったことから、
『日々の泡』
という小説のタイトルを思い出し、
それを逆にしてタイトルにした。
この曲に関しては
上原美優さんのことや
メッセージ性が相当強いと思ったので、
聴く人が少しでもしんどくないように
全体的にちゃんと意味はあるけど、
その意思や意向が
すぐに伝わらないであろう言葉を選んで、
歌詞やタイトルにしている。

自分の手の届く範囲での資料と
拙い想像力の範囲でしかないので、
どこまで真意に迫れているのかまでは分からないが、
彼女に関して
ここに至るまでに
とんでもないトラブルがあったというよりも
エッセイを読んで感じたけど、
過去にもそういう未遂もあったらしく、
心の不安定な部分はある方だったようには見えて、
仕事のこと、
年齢的なこと、
母親が亡くなってしまったこと、
恋人のこと、
その全てのタイミングが合ってしまって、
このような悲しい事故が起きてしまったように思う。
芸能界の闇だという人もいるかもしれないし、
そういうのもあったかもしれないけど、
多分原因の一つではあるかもしれないだけで、
それが全部ではない気がしてる。

そうやって色々自分で調べたり、
考えていくにあたり、
「これって僕にも、
誰にでもあり得ることなんじゃないか?」
という結論に辿り着いた。
自分が弱っている時、
いつもだったら
笑って受け流せるようなことがあっても
妙に引っかかることがあったり、
必要以上に自分の存在が小さく思えたり、
もう全部どうでも良くなったり、
そんな日は誰にだってあって、
それは全部がタイミングや状況だけの差であって、
その時にするかしないか、
その選択肢のどちらを選ぶか、
それくらいの違いに思えた。
彼女もタイミングが違えば、
こんな悲しい事故にはならなかったんじゃないか?
だとしたら、
もうあれから何年かは経ったけど、
ドアノブのスカーフは
まだ風に揺れていて、
また風に揺れる日が来る、
どこかで繰り返される可能性がある。

「だったら
みんなで力を合わせていこうよ。
そのために共同で暮らす社会がある。
だってどうせみんな、あぶくなんだから。
パチンと消えないように
そんな気持ちに負けないように
互いに笑い合って、
痛みを分かち合って暮らしていこうよ。
だってあなたが死んじゃったら
あなたともう一緒に飲めないし、
歌えない、
一緒に過ごせない。
そんなのほんとに悲しいよ。」

これがこの曲で僕が一番伝えたかった事。

最後の方にいきなり出てくる
「ゼロから僕ら 始めよう今夜」
が合唱になってるのは、
「みんなで今夜をきっかけに始めよう」
という僕の勝手な意思表記の表れで、
なるべく多くの人に参加してほしくて、
レコーディングでも
メンバーだけではなく
コーラスで参加してくれた人にも歌ってもらった。

こういった気持ちが強すぎるのに
歌詞は抽象的な表現が多くて、
伝わるのか不安になり、
この曲ができた当時は
ライブで歌う前にMCで
曲の出来るきっかけになった
あの上原美優さんの話や経緯、
その気持ちを話してから歌っていて、
ある日、
「さすがにMCが重過ぎる。
見てる人が辛すぎるからやめた方がいい。」
とばんに注意された。
「でも俺はちゃんと伝わってほしい。」
と言うと
「この曲を聴いて、
友哉が言いたい事を分からない人はいない。」
と言われた。
俺は独りよがりに伝えたいが勝ってて、
皆さんを信じきれてなかったということが
ただただ情けなかった。

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