The Drama Summer『オードリー2』
『オードリー 2 』
あの夏をまだ覚えてる
シーツに残る夜の跡も全部
夢の中 まだ歩いてる
君が流してた
歌がない曲も好きだった
ホテルの窓は一面が星空だった
ただロマンチックだね
誘い文句すら一言も浮かばなかった
溜めた湯船に顔を沈めたまま
ノックの音が静かに廊下に響いた
ああ、神様お願いね
館内着姿の君も悪くはなかった
唇にそっとビールの味がした
あの夏をまだ覚えてる
並べて置いたルームキーも全部
夢の中 まだ歩いてる
君が流してた
歌がない曲も好きだった
レース越しから
窓辺に明かりがこぼれた
もう朝になりそうね
コーヒーを作る準備だけしておこうかな
ベッドの脇をつま先で歩いた
街の雑踏をかき消すような人
隣にいるだけで 笑えるような人
(Lifetime, Turnstile)
街の雑踏をかき消すような人
隣で寝る度に 遠くに見えた人
あの夏をまだ覚えてる
シーツに残る夜の跡も全部
夢の中 まだ歩いてる
君が流してた
歌がない曲も好きだった
夏が来てまた思い出す
シーツを干して 西日がささない部屋
夢でまた会えたらいいな
「君が好きだった」
歌がない曲を聴きながら
(Lifetime, Turnstile)
【解説】
いきなりタイトルで
『オードリー2』という言葉が出てきて、
意味が分からないと思うけど、
タイトルの由来は
『リトルショップ・オブ・ホラーズ』という
人喰い花のB級ホラー映画があり、
元々はロジャーコーマンの映画のリメイク版で
ハリウッドでお金をかけて作ったものの、
本来はエンディングがバッドエンドだったが、
試写会で配給会社に見せたところ、
「こんな終わり方の映画、
客からお金が取れるわけないだろ!」
とバチギレられて、
急遽エンディングを撮り直している
嘘のような本当の話で完成した映画がある。
実際にDVDとかBlu-rayには
エンディングが二つ見れるようになっていて、
ロマンチックなことを言うと
この曲の物語のエンディングにも
誰かが怒って、
撮り直しさせてくれたら良かったよな
という願望を込めて、
この映画からタイトルを選ぼうと思った。
色々端折るけど、
映画のストーリーは
主人公が花屋で働いていて、
お店のために客寄せにしたくて
新種の種から新種の花を育てる。
その花の名前を聞かれた時に
一緒にお店で働いていて、
片思いをしていたオードリーから、
「オードリー2」と答えた。
(ちなみにロジャーコーマンの方では
『オードリーJr』になってる。)
恋をした人の名前を
新しく作った花につける感じがいいなと思って、
そのままタイトルにした。
あとスパルタンX(現・明日、照らす)時代に
『オードリー』という曲を作っていて、
この曲とはなんの関連性もないけど、
個人的にも『オードリー』のタイトルの曲が2作目だったこともある。
『東京サーモグラフィー』
『花も嵐も』に続く三部作完結の曲。
この曲はその渦中にいた
『東京サーモグラフィー』や
『花も嵐も』とは違って、
それからの後日談というか、
振り返って思い出したみたいな曲。
もう彼女とは10年以上は
会っても話してもないが、
たまに思い出すある夏の夜があって、
それを歌詞に書いた。
直接的で肉体的な表現は避けて、
ただ断片的に状況を
ただシーン毎に繋いでいる。
おそらく大体は何となく読めば分かる気もしてる。
結局、
最初は別々のホテルの部屋にいたのに
最終的には同じの部屋で寝起きしていて、
恋が始まるようにも見えるし、
2人は浮気相手のようにも見えるはず。
そんな不思議な関係だった。
ベッドの脇を爪先で歩くのは、
恋人よりも先に起きた人あるあるというか、
映画『エリザベス・タウン』でも
キルスティン・ダンストのそういう描写が出てきて、
国は関係ないんだなと映画を見て感心していた。
ちなみにここで出てくる
歌がない曲というのは
彼女が好きだったハードコアのことで、
あんまりイメージを限定したくないので、
こういう抽象的な表現にしたが、
そのヒントとして
TurnstileやLifetimeというフレーズを使っている。
本当はもっとゴリゴリのハードコアだったが、
響きが良くて、
意味がありそうな言葉だとこの二つだった。
人生(Lifetime)が水族館のゲート(Turnstile)のようにクルクルと回り、
このフレーズをきっかけに時間の経過を表している。
夏のある日、
シーツを洗濯して
ベランダに干している時に
ふと思い出したこの10年前のあの夏の夜。
あの頃は彼女の言動や
行動の一つ一つに
ただ浮き沈みしていたし、
そればかりが生活の中心だったが、
今となっては
「ああ、あんな頃もあったなあ。
元気かな、あの人。」
というくらいにまで時間が経っている。
これが成長なのか、退化なのも分からない。
でもあれほどまでに
誰かに感情を揺さぶられた日々が
なんだか妙に愛しく、
そんな頃が自分にあったことさえ
今ではただ幸せに思えたりもしている。