令和の日本は「オトナ帝国」?娯楽の逆襲…。

前々から「人々と娯楽」について考察することが多いのですが、先日ふと「あ、今の状況ってまさに「オトナ帝国」みたいだな」と思ったので膨らませて記事にしてみようと思います。「オトナ帝国」というのは、かの名作アニメ映画『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲』(→ウィキペディア)に出てくるあの「オトナ帝国」のイメージです。大学時代に授業で紹介されて、本編を観たらすごく面白かったのでよく覚えています(大学の授業で習ったことなどほぼ忘れてるのにこういう記憶だけは残っている・笑)。世間的にも有名で評価の高い作品です。詳しいあらすじは上記ウィキペディアなどをご参照ください。

映画の中でしんのすけたちの親、ひろしやみさえは出かけた万博で(悪役の仕掛けた)ある匂いを嗅いで懐古的な気持ちになり、幼児退行をしてしまいます。子どもの頃に好きだった怪獣やおもちゃなどに憑りつかれたように夢中になってしまい、しんのすけたちのお世話もせず遊び惚けています。そんな親たちに困った子どもたちが力を合わせて、大人たちを元の世界に連れ戻そうとする…というのが大体のストーリーです。

私が「今の状況って「オトナ帝国」みたい」と思ったのは、老若男女人々が娯楽に溺れ、依存しているのを、映画の中のしんちゃん目線で見ていたからかもしれない…と感じました。例えば私が本当にすごいなと思っているのが、世間でのゲーム人気の高さです。ゲームって、私が子どもの頃はそんなに大人が夢中になってやっているイメージはありませんでした。小3の頃ゲームボーイのポケモン赤緑版が流行っていて、友達と通信ケーブル(懐)を使ってよく遊んでいましたが、大人(少なくとも親、友達の親レベル)はやっていませんでしたね。今は親世代がポケモンネイティブだったりするので、親子で楽しむこともあるだろうし、大会などでも大の大人が一生懸命バトルしたりしているようです。私でもわかるレベルの一般的なゲームだけでなく、本格的なオンラインゲームや手軽なスマホゲーム、eスポーツという概念も普及し始めていますし、ゲーム実況者は子どもたちの憧れの的、小さいうちからプログラミング教室でゲーム作り…などなど、ゲームの裾野がどんどん広がっているのを日々感じています。

昔…ゲームなどが登場する頃、間もない頃…はもっとゲームに対するネガティブな意見、風当たりや警戒心が強かっただろうと思うんですが、昔は「ゲームなんて…」と言っていたような大人世代が、今や好き好んで遊んでいるという状況なので、もうこれはゲームの勝利、娯楽の逆襲なのかなと思ったりしています。テレビやアニメ、漫画などにも同じようなことが言えると思います。新しい娯楽への抵抗感や警戒心が薄れると、その拡大には歯止めがかからなくなってしまうものなのだと感じ、またも3S愚民化政策の凄まじさを痛感するのでした。「ゲームなんて…」と言うかつての大人は老害っぽさもありますが、その懸念は至極真っ当なものだったと感じています。

かつては「子どものうちに卒業しようよ」と言われていたようなものが、今や主流産業になってきて、多くの大人の人々の心、そして時間とエネルギーを奪っているという状況…。人々は「楽しんでいる。これがパワーの源!」と思っているのでしょうが、その気持ちはわかりつつも、やっぱりどこか、「何かもっと大切なことがあるのでは?」と思ってしまう自分もいます。以前の記事にも書きましたが、この娯楽に溺れる現象というのが、日々の暮らしの厳しさ、過酷さの裏返し(現実逃避)であることもわかっていますし、最後の命綱の側面もあると思っています。なので簡単に否定はできません。他人の趣味をとやかく言うことがタブーなのもわかっているので、誰かに何か言うこともしませんし、娯楽にお世話になってきた私は言える立場でもありません。それでも…大人が娯楽に夢中になっている姿というのは何とも物悲しいものがあり、ついついしんちゃんの目線で世の中を見つめてしまうのでした。

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