「奴隷は自由である」というパラドクス
ヤフーニュースで私の食いつきそうな記事が出ていましたね。仕事で私が壊れる 人生を搾取する「全人格労働」の記事です。ご覧になった方も多いのでは?私がいつもここで書いているようなことが書いてありました。意識調査でも今の仕事を辞めたいと思ったことのない人は10%程度で、ほとんどの人が辞めたいと思ったことがあるようです。まぁ、この意識調査も操作されたものである可能性はありますが、肌感覚としては納得のいく数字ですね。
結局私たち庶民はピラミッド社会の奴隷であることを自覚し、そこから脱すると決意しないことには一生奴隷としての生涯を送ることは明白です。これは今に始まったことではなく、有史以来ずっと同じことを繰り返しているので、DNA的にも、魂的にも、奴隷の生活が長かったためにそれに慣れきっているところはあります。天皇家も大企業のトップも政治家も、日本を牛耳る人々はみんな親戚同士であり、完全に血族統治です。コネが横行するのも当然です。ざっくり言えば、生まれがものを言う社会であり、それは覆せません。私はピラミッド社会の奴隷からは脱しましたが、被支配側の家に生まれたからには支配側に回ることはどうやっても不可能です。だからこそ、いつも言っているように、「支配-被支配が成り立つシステムから脱する」つまりは「国やお金、システムに依存しない」というのが一番の解決策であり、目標であるということです。
そういった支配層に力を与えないためにも、「時間」「お金」「労力」の使い方をよく考えよう、というのも私のいつも言っていることの一つですが、こんなにも仕事を辞めようと思ったことがある人がいるのであれば、本当に一斉にやめちゃえばいいのに、と思うのですが。奴隷がトップと戦うとか、泣き寝入りするとか、そういうやり方はエネルギーの無駄だし、建設的ではありません。そんなに嫌なら離れて、奴隷だけで楽しい社会、システムを構築していけばいいと思うのです。
私たちには幸い、「退職」する自由があり、それで罰せられることはありません。これが有史以来の過去の奴隷とは違うところです。これって、今までの被支配層にとってはありがたすぎるくらいの特権だと思うのですがいかがでしょうか。日本は明確な階級制度はありませんし、見た目で身分がわかるとか、職業の制限があるわけではありません(一部は存在する地域もありそうですが)。奴隷労働を辞める権利はある。それを行使するかはその人次第なわけです。
また、個人企業のトップなど雇う側の立場であれば、なかなか退職するというのは難しいように思いますが、雇われている側というのはかなり身軽であり、辞めやすい立場だと思います。今の日本の社会は雇う側の権力が強くて、雇われている側の立場が圧倒的に弱いと感じますが、実は雇う側の方が弱いのではないでしょうか。だって、人がいなかったらその企業は存続できませんからね。でも雇われている人は他に仕事を探せばいくらでも生き延びられます。自分でスモールビジネスを起こすこともできます。なんて自由な雇われの身。奴隷だけれども見方を変えればすごく自由な身だと思いませんか?
今日初めて気づいた「奴隷は自由である」というパラドクス。雇われているって自由だな。年度途中で辞めるのも一見無責任ですが、それも雇われ奴隷の特権です。一方的に「労力」「時間」を捧げる存在ではないのです。人を人として扱わないような会社や組織にいるのはエネルギーの無駄です。退職する恐怖、自分の人生と向き合う恐怖を乗り越えて、現代の奴隷ならではの自由を謳歌できる人が増えることを願っています。
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