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ティルドラス公は本日も多忙③ 冬終わる日に人来たる(24)

第五章 宮廷人事(その4)

 「しかしアンティルどのの立てた策は見事の一言に尽きますな。複雑な儀式で伯爵を失敗させて声望を落とそうとした摂政の企みを逆手に取って、伯爵の声望を高める機会にしてしまうとは。」イックが言う。
 「我らだけでは、いったいどうなっていたことやら。」とオールディン。そうした周囲のアンティルへの賞賛を聞きながら、チノーは所在なげに立ちつくす。
 同じ頃、宮廷の別の一角にある摂政の執務室には、サフィア派の面々が渋い表情を浮かべながら集まっていた。
 「思った通りには運びませんでしたな。」最初に口を開いたのは、伯国の令尹(れいいん)であるイダル=アッサウという人物だった。
 先代・フィドル伯爵の代から令尹として国政を司る人物だが、『ミスカムシル史大鑑』によれば「代々の高貴の家に生まれながらその性は粗暴・強欲・驕慢・野卑で、およそ民を愛する心がなく、貧賤・孤独の者が飢え凍えて路傍に死ぬのは世の理(ことわり)と公言して憚(はばか)らず、しばしば国政を私(わたくし)して己(おのれ)の利を図り、また、賂(まいない)を受けて恥じることがなかった」という。以前からティルドラスとの折り合いは悪く、彼が伯爵の位に就いてからはサフィアに接近し、彼女の取り巻きに加わることで保身を図っている。
 「これではかえって、伯爵の声望が高まることになりかねませぬな。」彼の傍らでガルキンも頷く。
 「朝廷の官位も持つ私(わたくし)から見ればまだまだ至らぬ所は多かったとはいえ、伯爵の拝礼は一応の理にかなったものでございました。我らの知らぬ所で密かに修練を行われていたのでしょうか。」大仰に首を振りながら甲高い声をあげるフォンニタイ。
 「だとすれば一杯食わされましたかな。意外に油断のならぬ方なのかも知れませぬ。」とジニュエ。
 「ともあれ、他国からの列席者を前に、伯爵が古式に則った儀式を滞りなく終えたことで、我が国の面目をほどこすことはできました。今回はそれで良しとせねばなりますまい。」一座を見回しながらネイカーが言う。
 不機嫌に黙り込む一座の中で、突然サフィアが話題を変えた。「ところでガルキン将軍、アロンゾは健勝にしておりますか。」
 「――は。まこと健勝にしております。」彼女の言葉に頭を下げるガルキン。
 「そうですか。それは何より。」サフィアは頷く。
 アロンゾ=ガルキンは今年八歳になるガルキンの息子――養子である。ガルキンと妻のノラとの間には娘が一人いるだけで男子がないため、跡継ぎとして一族の子を養子に迎えたということになっているが、出自が今一つ明らかではなく、実はガルキンが他の女に産ませた庶子を表向き養子という形で引き取ったのではないかと囁かれていた。そのアロンゾをサフィアはなぜか大変に可愛がり、ゆくゆくは自分が引き取って彼に全ての財産を残したいとまで周囲に漏らしている。
 アロンゾの話題でサフィアの機嫌が幾分和らいだところで、集まりは散会となる。他の者たちが退出する中、最後に残ったネイカーに一人の小吏が駆け寄り、密かに彼に耳打ちした。「伯爵でございますが、今宵はシーエック子爵のお屋敷を訪問されるようでございます。」
 「そうか。ご苦労、下がって良い。」ネイカーは頷き、独り言のようにつぶやいた。「シーエック子爵を訪問されるか。ならば、何かの報せが来るな。」
 彼の言葉の通り、儀式を終えたティルドラスは、その足でナガンとともにキーユの屋敷を訪れていた。「久しぶりだな、シルケントス。達者でいたか。」玄関先で彼らを出迎えた人物に声をかけるティルドラス。キーユの父の代から仕える使用人で、ティルドラスも以前から見知った人物である。
 「もったいないお言葉。どうぞこちらへ。子爵がお待ちです。」彼に向かって深々と一礼するシルケントス。
 そのあとティルドラスとナガンは来客の間に通され、キーユと食事を取りながら留守中の話をあれこれ聞かされる。ティルドラスがバグハート領に滞在していた間、伯母であるルロアを補佐する形で国政の一部を代行していたキーユだが、やはり、腹に据えかねることは多かったという。
 「君がいない間の摂政の尊大ぶりは目に余る。君もナガンも伯母上もまるで眼中になく、自分こそが国の主であるかのような態度だ。」憤懣やるかたない口調でキーユは言う。「それならそれで国のため、民のためを図るべきなのに、やっている事といえば、取り巻きたちを集めての宴会と自分に諂(へつら)う者たちへの官位や利権のばら撒きばかり。諫める者は片端から左遷や免職だ。」キーユも精一杯の抵抗を試みたが、実権を握るサフィア一党の壁は厚く、全く歯が立たないという。「最近では、摂政を内心快く思っていない者さえ怖れて口をつぐむようになった。おかげで、一見、宮廷内は平穏だが、その陰で腐敗や不公正はどうしようもなく広がってきている。今に取り返しの付かないことになるぞ。」
 「ううむ。」難しい顔で考え込むティルドラス。
 「バグハート家との戦いに勝って得たものも、結局は摂政と取り巻きたちとの間で分け取りだ。そもそも今回の戦いで、君が得たものは何かあったか。」息巻くキーユ。
 「得るものはあった。人材だ。」ティルドラスは言う。「彼らの力があれば、いつか状況を好転させることもできるだろう。特にアンティルを得られたのは何よりだった。」
 「ペジュン=アンティルか。最近よく話を聞かされるな。私も一度会って、じっくり話を聞きたいものだ。」とキーユ。
 「機会を見つけて連れてこよう。政治だけではなく、農事やさまざまな機械にも詳しい。君にとっても興味深い話がいろいろと聞けるはずだ。」
 こうした会話の間、シルケントスはしかつめらしくその場に侍立してこまごまとした用を足していたが、やがてティルドラスが屋敷を後にし、屋敷の者たちが後片付けに走り回る中、密かに屋敷を抜け出し、暗い夜道をたどる。彼が人目を憚るように戸を叩いたのは、ネイカーの邸宅の裏口だった。
 取り次ぎの者に来意を告げ、奥まった一室に通されるシルケントス。そこではネイカーがガルキンと何かの話をしていた。「来たか、シルケントス。話を聞かせてもらおう。折良くガルキン将軍も来ておられる。」
 シルケントスはこくこくと頭を下げ、今夜のキーユとティルドラスの会話の内容を事細かに語り出す。「普段はあまり表に出されませぬが、キーユ子爵の摂政への不満はかなり強いようで、ティルドラス伯爵にいろいろと不平を漏らしておられました。ただ、さしあたって何かの行動を起こすという事ではないようでございます。」
 「ふむ。」頷くネイカー。
 「あと、漏れ聞きましたところでは、最近ではペジュン=アンティルと申す者が、大いにティルドラス伯爵の信任を得ているとのことでございました。詳細は存じませぬが、今回の儀式を滞りなく済ませるに当たっても、その者が大いに働いてくれたとか。」
 「ペジュン=アンティル……。どこかで聞いた名だな。」とガルキン。
 「先日、摂政のもとに密かに頼み事に参った者でございますな。ティルドラス伯爵が借金に追われており、例の馬車と引き換えに金を出してもらえぬかと。風采の上がらぬ小男で、それほどの人物とも見えませなんだが。」とネイカー。
 「思い出した。あの男か。」頷くガルキン。「ところでシルケントス、一つ訊くが、父親の代からシーエック家で近侍を務め、自身も先代バルソー子爵と当代キーユ子爵の二代に仕えているお前が、こうやって我らに主人の動静を密かに漏らしているのは何のためだ。」
 「それは、その……。」口ごもるシルケントス。

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