ティルドラス公は本日も多忙⑤ 嵐の年、国滅ぶ時(4)
第一章 ケーシを後に(その4)
こうして数日後、親王家でティルドラスを送別する内輪の宴席(こちらも費用はティルドラス持ちだが)が開かれる。
料理はバーズモンが腕を振るって作ったものである。宴席には親王家の家族のほかミッテルやホーシギン、ジェイクソン、さらにアンコックも招かれて、内輪とはいえそれなりに賑やかなものとなった。フォンツィルタット一家は今回も押しかけてきて、ここを先途とばかりにがつがつと腹一杯詰め込んだ上にエウロナが用意した手土産まで当然のような顔で受け取って帰って行く。もう怒る気にもなれない。むしろ哀れですらある。
主賓のティルドラスは相変わらずの暗い表情でいたものの、それでも親しい顔ぶれが揃ったことで多少の気晴らしにはなったらしく、先日の王宮での宴席とは違い、弱々しいながら笑顔を見せることさえあった。
「君についてハッシバル領に行くことに父の許しが得られた。」宴席での会話の中でミッテルが言う。「ただ、こちらで抱えている仕事が幾つか残っている。特に、サンノーチス子爵の夫君のために朝廷の官職を手に入れる依頼が大詰めだ。それを済ませぬうちはケーシを離れるわけには行かない。」
「サンノーチス夫妻にはいろいろと気を遣っていただいた。ユンギルどのが家臣たちに軽んじられないよう、それなりに重い官職を得られるようにしてほしい。」とティルドラス。
「旅賁令の官職が得られそうだ。それなら子爵家の婿として恥ずかしくないだろう。」旅賁令は王宮の警備に関連する雑務を統括する役目で、ティルドラスの籍田令とだいたい同格の地位である。それならば、国の家臣に対しても宗主国のトッツガー家に対しても一応の体面は保てるはずである。「ただ、最後の根回しがまだ残っていて、君の出発には間に合いそうにない。こちらの仕事を片付けてから君を追うことになるな。」
「そうか。では後に残る者たちと同行する形にすれば良いだろう。ネビルクトンで会おう。」ミッテルの言葉に頷くティルドラス。
近くケーシを出立するティルドラスだが、随員たちの一部は朝廷との折衝や雑務の整理のためしばらくケーシに滞在し、後から帰国することが決まっている。先日の襲撃で負傷し、現在治療中のハカンダルも傷が治ってからこの第二陣に加わる予定となっている。親王家の料理番としてケーシに残る話は断ったバーズモンも、サバーンからもう少し料理を学ぶためケーシに残り、ケスラーも二人と行動を共にする予定である。
『そうか。後からハッシバル領に向かう第二陣があるのだな。ならば――』二人の会話を聞きながらホーシギンは考える。
と、その時一座の中から、僧である彼のため特別に用意された精進料理を食べるのを中断してアンコックが声を上げる。「そのことでございますが、私も後からハッシバル領に向かう方々に同行させていただくことは可能でしょうか。」
「それは――」少し驚いた表情になるティルドラス。「むろん喜んでお迎えしたいと思いますが、何か事情でもあるのでしょうか。」
「一つは寺院の意向です。」とアンコック。彼が属する宗派である「瞑想派」は、現在のケーシでは他宗派に圧倒されて勢力を伸ばせぬ状態にある。もし自分たちを快く受け入れてくれて後ろ盾にもなってくれるような諸侯がいれば、領内に新たに寺院を構えさせてもらい、その地で布教に力を入れることも考えるべきではないか――。寺院の中でそのような議論があり、ちょうどティルドラスと面識のあるアンコックに、新たな寺院建立に向けてハッシバル領に赴くことへの打診があったという。もっともそこに至るまでの経緯は必ずしも綺麗事ばかりではなく、さる身分の高い貴族の息子で最近寺院内で重んじられている若い僧のため、現在アンコックが就任している役職を譲らせたいという思惑もあるらしい。アンコックが密かに囲っている隠し妻と子供たちの存在が寺院の上層部から問題視されたことも理由の一つだという。「私自身も、伯爵の近くにあって、場合によってはお役に立てるのであれば、進んでハッシバル領に赴きたいと考えております。お許しが出るならば直ちに寺院に申し出てハッシバル領に向かう準備を始めたいと存じますが、いかがでしょう。」
「是非とも。こちらからお願いしたいほどです。」とティルドラス
「あと――」何やらいたずらっぽい表情を浮かべながらアンコックはホーシギンの方をちらりと見やる。「他にも一行に加わりたい方が居られるなら、その方にもお許しをいただけますでしょうか。この席にも先ほどから、話を切り出す機会をうかがっておられる方が見受けられるようですので。」
「無論です。」やはりホーシギンの方を見やりながら、ティルドラスは頷いた。
翌日ティルドラスは、今度は季節変わりの小宴で協力してくれた河原の芸人たちのもとを訪れて暇乞いをする。「こりゃまあ何というか、伯爵さまがわざわざ俺たちみてえな芸人の所にやって来られて暇乞いされるなんて聞いたこともねえですぜ。恐れ入ります。」思いもかけぬ彼の来訪に、元締めのガルマは恐縮するばかりだった。
「一つ頼みがある。」ティルドラスに同行していたドゥーカンが言った。「伯爵は間もなくケーシを発たれるが、今後も引き続きケーシでの出来事については知っておきたい。そのことについて、お前たちの助けを借りたいのだ。」