見出し画像

ティルドラス公は本日も多忙④ 都ケーシの宮廷で(20)

第五章 ホーシギン(その1)

 ティンガル王家直領の南端に位置するティッハヤーの城は、背後の西側に険しい山々を控え、東はミスカムシル最大の湖であるピウ湖に面している。城のすぐ下にはピウ湖に沿った街道が走り、そこを通らずに南から陸路で王家の直領に入ることはできない。王家にとっては外敵の侵入を防ぐ最大の要衝で、ハッシバル家にとってのティルムレチスと同様の存在と言って良い。
 その城を守る衛門校尉(えいもんこうい)・マシスガー=キースノックといえば、事実上ティンガル王家の軍事面の全てを背負って立つ人物として諸国にも名が知れ渡っていた。
 もとは野武士だったという。ピウ湖東岸の湖畔から山岳地帯にかけて勢力を持っていた土豪の一族というから、同じ野武士出身といっても逃亡剣闘士のサクトルバスあたりよりはもう少し高い社会階層の出身である。伝説では王・ゴディーザム=ティンガルが夢で先祖の霊から「ピウ湖の南、山の麓に国士あり」と告げられ、召し出されて仕官したことにされているが、実際には、この地方の徴税権や湖上輸送の支配権を巡って朝廷から派遣された地方官と小競り合いを繰り返していた一族の者たちが手を焼いた朝廷から懐柔のための官位を与えられ、彼らの縁でマシスガーも都に出仕して王の身近に仕えるうち才能を見いだされて次第に出世したものらしい――と『ミスカムシル史大鑑』は述べている。
 本来、衛門校尉は王宮の諸門を守る衛兵の指揮官で、決して高い地位ではない。だが、名目上は王国の軍を率いる最高司令官である「大将軍」を筆頭とする九人の上将軍、さらにその下に位置する雑号将軍の官位が軒並み王族や貴族に与えられる名誉職的な地位となる中、彼らの妬みや蔑みを陰に陽に受けながらも、マシスガーはティッハヤーの城を堅く守って他国や周辺の群盗に付け入る隙を与えず、その一方で王国全土への兵の配置や武器・糧食の配分にも心を砕く。実際の国土は子爵の国程度しかなく、当然大きな兵力もそれを支える国力も持たないティンガル王家の軍がそれなりの戦力を維持できているのも、ひとえに彼がいてこそというのが衆目の一致するところだった。
 そのマシスガーの部下にトポス=ホーシギンという人物がいた。
 彼の前半生については不明なことが多い。生まれすら、トッツガー領内の農家の出ともデクター領内の仕立屋の息子とも言われてはっきりしない。とにかく、家が貧しく、口減らしのため早くに家を出てあちこちを放浪し、放浪する中で学問を修め、三十近くなってようやく朝廷に小役人の地位を得てケーシに落ち着いた。
 褐色の顔の中に埋もれた小さな丸い目は何とも言えない知性をたたえて輝いており、口を開けばその見識と雄弁は聞く者を驚かせる。だが、短躯の堅太りで短足のがに股、冠からはみ出すクセの強い黒髪。どうひいき目に見ても美男子とは言い難い。ありていに言えば醜男(ぶおとこ)である。
 おまけにホーシギンは口が悪い。人の悪口を言うのではない。相手が上役だろうが権勢家だろうが遠慮など一切せずにものを言い、しかもそれが鋭く本質を突いているため、周囲からは軒並み煙たがられている。
 容姿と家柄が重んじられ有力者の引き立てが出世を大きく左右するティンガル王家の朝廷では、このような人物は肩身が狭い。良く言っても並以下の容姿、どこの馬の骨ともわからない出自、権勢家のご機嫌を取ることなど全く意に介さない性格。王宮に仕える小役人の地位は得たものの、その後は昇進することもなくあちこちの部署を転々とした末に、ホーシギンは王宮を体よく追い払われてティッハヤーの城の会計係を命じられる。
 居心地の良いケーシの王宮でぬくぬくと暮らしながら禄を食(は)んでいる官吏たちからすれば、国境の最前線であるティッハヤーへの赴任など文字通り地の果てに飛ばされるようなものである。飛ばされるのが自分でなくて良かった、競争相手が一人減った、目障りな男が消えてくれて助かる、そんな思惑を隠しながら周囲の者たちが口にする慰めの言葉に、ホーシギンは明るく答えたという。「いやいや、むしろ本望でございます。聞くところでは、ティッハヤーの守将であるマシスガー=キースノック様は智勇を兼ね備え人を見る目もお持ちの方とのこと。そのような方のもとでこそ働きたいと以前から願っておりました。」
 実際、マシスガーはいくらも経たぬうちに彼の才能を認める。普段は適当に手を抜きながらやっているものの、いざという時のホーシギンの事務処理能力や周囲への的確な指示は驚異的なもので、彼が来てからというもの、ティッハヤーの城では兵士への俸給の支払いや物資の調達に関わる事務作業が滞ることが絶えてなくなった。
 それ以上にマシスガーを驚かせたのは、ホーシギンの戦術眼・戦略眼の確かさである。
 ――ハッシバル家の跡目争いは最終的にはティルドラス公子の勝利という形で決着がつくはず。ただ、ティルドラス公子に与えられた時間は決して長いものではないように思えます。ティルムレチスの城がミストバル家の攻撃の前に陥落してしまえば、それはそのままハッシバル家の滅亡につながりかねませぬ。――
 ――国境の水争いから始まったフォージャー家とトッツガー家の戦いでございますが、フォージャー家が機先を制してトッツガー領内で敵を迎え撃つ策を取れば勝機はございます。鍵となるのはダン公子とともにフォージャー家に亡命したアクラユの武勇を用いるかどうかかと。逆に、彼を用いず自国の平野で敵を迎え撃つ策を取れば、フォージャー家には苦しい戦いとなりましょう。――
 ――ハッシバル家の領土を狙ってバグハート家が兵を動かしましたが、愚かの極みでございます。緒戦で敗れてただちに和議を結び、以後ハッシバル家への恭順を誓うのであれば国を保つことはできましょうが、和議を結ぶ機を逸して無駄に戦いを長引かせるなら、事によると国を亡ぼすことになるやもしれませぬ。――
 仕事の合間の何気ない雑談の中で、伝え聞く他国の戦いについてその是非からそれぞれの国が取るべき策までを事細かに分析し、戦いの帰趨(きすう)を正確に予想してみせる。この男、ただ者ではない――。そう考えたマシスガーはホーシギンを部隊参謀に当たる司馬に抜擢して自分の相談相手とする。さらに、ケーシの宮廷に宛てて彼を高い地位に就けるよう推薦する上書さえ何度となく行った。
 そうした上書の一つが『ミスカムシル史大鑑』にあるホーシギンの伝記にも収録されている。
 ――臣・マシスガーは山家(やまが)育ちの田舎者の身でありながら、かたじけなくも主上の大恩を受け、王国の軍権を担う栄誉を賜っておりますが、未だ王家の威光を天下に示すことができず、日々恐懼(きょうく)しております。せめて賢者を推挙することで恩顧に報いることができぬかと考え、このたび筆を取らせていただきました。
 現在我がもとで司馬の地位にありますトポス=ホーシギンなる人物がおります。今でこそ世に埋もれ知る者とてございませぬが、その見識は驚くべきものがあり、特に軍略に優れ、まこと天下の奇才と申すほかございませぬ。王国の軍師に任じ、その才を存分に奮わせてはいかがかと存じます。必ずや、内は国を安寧ならしめ、外は王家の威光を諸侯に奮うことができましょう。――

いいなと思ったら応援しよう!