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ティルドラス公は本日も多忙④ 都ケーシの宮廷で(65)

終章 夢破れて

 王宮に参内しようとした参朝の諸侯が宮門のすぐ前で白昼襲われる――、この出来事は前代未聞の事件として大きな騒ぎとなる。
 事件の死者は襲撃側が六人、ティルドラスの側が二人、さらにティルドラスの側に重傷者数名、軽傷者多数が出た。軽傷者の中には応戦する中で薄手を負ったサクトルバス、メルクオ、ジョーも含まれる。
 ハカンダルの負傷はかなりの出血だったものの、幸い、刃先が上着の下に着込んでいた革の胴鎧に食い込んだところで留め金に当たって止まったため内臓には達せず、脇腹の皮膚を切り裂いただけで命に別状はなかった。それでも当人はてっきり死ぬものと思い込み、担架に乗せて運ばれる間ずっと情けない声を上げ続けていた。「痛え、死ぬ、もうだめだ。ああ、こんなことになると知ってりゃ、有り金残らず使っていい女を買っとくんだった!」
 「それだけ騒ぐ元気があれば死にはしませんよ。落ち着いてください。こっちは本当に殺されるところだったんですから。」担架を担ぎながらクスノトが声をかける。
 倒された刺客たちはいずれも同じ文面の斬奸状ざんかんじょうを懐中しており、そこには次のようなことが書かれていたという。

 我ら勤王の士一同は王家に対するハッシバル伯爵の以下の行いを糾弾し、その非を天下に明らかにするものである。

一、朝廷の許しを得ぬ諸侯同士の私闘によりバグハート領を併せ、王に返上すべきその地をそのままわたくししたこと。
一、王室の藩屏はんぺいたる諸侯に降嫁すべきルシルヴィーネ王女に欲心を抱き、策を弄して我が物としようとしたこと。
一、王宮の周囲で奴隷に武器を持たせ、王の臨席する宴に剣を持ち込ませるなど、武をもって周囲を威圧し王家の威を軽んじたこと。
一、王宮に奴隷や卑しき身分の旅芸人を引き入れ、貴賤の秩序を乱したこと。
一、格調高き王宮の祝宴に汚らわしい蛮夷の音楽や卑しい俗謡を持ち込み、王家の聖徳を汚したこと。

 以上の罪に対し、命に替えて天誅を下す。天下の諸侯はこれを戒めとし、かりそめにも王家に対し不義・不忠・不敬の振る舞いがないようにせよ。二八二一年九月某日

 襲ってきた者は討ち取られた六人だけではなく、三人ほどが現場から逃れたという証言もあったが、彼らは一人も捕まらず、同時に起きたハイマー夫妻の殺害との関係も分からないままだった。背後関係の解明が全く進まない中、朝廷の人士たちは責任を転嫁するかのように、非難の矛先を襲われたティルドラスへと向ける。
 ――こともあろうに王宮のすぐ前で狼藉者どもと私闘に及び、門前を血で汚すとは何事か。――
 ――戦で得たバグハート領を王家に返上すべきであったというのはまことにその通り。それを私したのは明らかに朝廷を軽んずる行いである。――
 ――そもそもハッシバル家の爵位はキッツ伯爵以来のわずか三代。そのような身分軽き成り上がり者が王女の降嫁を願い出るなど不遜である。左様な態度が今回の不祥事を招いたのではないか。――
 こうした朝廷の空気を受けて、ティルドラスには思いも寄らぬ厳しい処分が科される。王への謁見の許可の取り消し、さらに十日間の出仕停止と自宅謹慎――。それが朝廷から下された裁定だった。
 ついでに言うと、襲撃されたティルドラスを助けようとせず逆に門を閉じて彼を閉め出した門衛の指揮官は咎めを受けることもなく、むしろ「毅然とした対処により狼藉者から王家の威厳を守った」と賞賛されて褒美まで与えられたという。
 弁明の機会さえ与えられず、ティルドラスは親王家での謹慎生活に入る。彼への処分を撤回、せめて軽減させることができないかとミッテルやホーシギンが奔走するものの、結果は思わしくなかった。外出もできず、外の状況がどのようになっているのかさえ分からないまま親王家の一室で鬱々うつうつと日を送るティルドラス。その彼を、わずかな供回りを連れたサンノーチス夫妻が人目を忍んで訪問する。
 「どうかお気を落とされませぬよう。せめてもの励ましになればと思い、顔を出させていただきました。」謹慎中におおっぴらに客間で会うわけにも行かず、彼らを親王家の裏口から招じ入れ奥まった小部屋で出迎えたティルドラスにフェジーラが言った。
 「お心遣い感謝します。」弱々しい笑みを浮かべながら答えるティルドラス。
 「こちらこそお役に立てず申し訳ありませぬ。」とフェジーラ。実は以前約束した通り、ティルドラスとミレニアの婚約が履行されるよう取りなす手紙をイエーツに送ったのだが、聞き入れられることはなく、逆に厳しい言葉で彼女を叱責するイエーツ自筆の書状がトッツガー家から朝廷への使者によって届けられたという。ティルドラスがフェジーラ夫妻と個人的に関係を深めることでサンノーチス家をトッツガー家から離反させようとしているのではないかとイエーツは疑ったようである。
 謹慎期間が明け、さらに数日が経ってようやく王宮への参内と願い出が許される。それも当初予定されていた王への謁見ではなく、応接した謁者えっしゃに対して王への願い出を取り次いでもらえるよう申し出るという形だった。
 宮廷に参内し、応接の間でしばらく待たされたあと、姿を現した謁者に向かってティルドラスは王への願い出を繰り返す。トッツガー家のミレニア公女と自分はもともと朝廷の許しも得た婚約の仲であること。捕虜交換により彼女はトッツガー家に返されたが婚約自体が解消されたわけではないこと。婚約が履行されるよう、王からの口添えを賜りたいこと――。
 「願い出の向きはあい分かった。」ティルドラスの言葉が終わり、尊大な口調で謁者は言った。「しかしながら、一昨日、トッツガー家とマッシムー家の連名でトッツガー家の公女ミレニアとマッシムー家の公子ミギルとの婚儀について王のお許しを得たいとの願い出があり、王はこれを裁可された。綸言りんげん汗のごとし。王のお言葉は取り消せぬ。よって、残念ながらそなたの願い出を王に取り次ぐことは叶わぬ。以上である。」そして謁者はティルドラスをその場に残したまま、きびすを返して去って行く。
 そのまま悄然しょうぜんと王宮を後にし、ティルドラスは待っていた馬車に乗り込む。「籍田せきでんへ。」御者に向かって短く彼は言った。
 畑仕事がしたいわけではない。とにかく一人になりたかったのである。籍田で馬車を降り、誰もいない花園の一角で石に腰を下ろして深くこうべを垂れるティルドラス。ミレニアとの思い出、これまでの苦労、挫折を繰り返しながらそれでも希望が見えた矢先に全てを失うことになった喪失感――、そんなことを次々に考えるうち、いつしか涙が滂沱ぼうだあふれ出て彼の頬を濡らす。
 臆病で気が弱いという評判とは裏腹に、ティルドラスはこれまで人前で涙を見せたことはほとんどない。だが、この時だけは涙涸れるまで泣いたと、のちに彼は周囲に語っている。
 「泣いておるのか。」傍らから声をかけられてティルドラスは顔を上げる。ルシルヴィーネがそこに立っていた。「わらわのために泣いてくれておるのか。」
 「私は――」
 「皆まで言うな。」何か言おうとするティルドラスを遮りながらルシルヴィーネはかぶりを振る。「妾と伯爵との縁談は結局まとまらなんだと聞かされた。妾との縁談を進めれば、ハッシバル家とデクター家との間で戦が始まってしまう。伯爵は心優しい方、妾一人のために民を苦しめることはできぬのじゃ。そうであろう?」
 「――はい。」本当のことを話したところで、彼女の気持ちを傷つけるだけで何が変わるわけでもない。短く答えてティルドラスは顔を伏せる。
 「いずれにせよ、ハリオスどのとの縁談は『破談』とやらになった。代わってオーモール家のウラストスどのに嫁ぐようにとの父上の仰せじゃ。」遠い目をしながらルシルヴィーネは続ける。「どちらでも良い。ハリオスどのもウラストスどのも一度として会ったことなどない。妾にとって、実際に会って言葉も交わした縁談の相手は伯爵ただ一人じゃ。短い日々であったが出会えて楽しかったぞ。できることなら伯爵に伴われてネビルクトンへと行きたかったが、所詮、叶わぬ願いであった。」
 「王女……。」慰めの言葉をかけようとしたものの、何を言っても白々しくなりそうで、ティルドラスは沈黙する。
 「姫さま!」その時、少し離れた場所から彼女を呼ぶ声がする。「ルシルヴィーネさま!」
 「アネルチアが呼んでおる。行かねば。」そう呟いて歩き出すルシルヴィーネ。こちらを振り返った彼女の頬には、幾筋もの涙が流れていた。「さらばハッシバル伯爵。もう二度と会うことはあるまい。妾のことは忘れて幸せに――。」そこまで言って言葉を詰まらせ、むせび泣きながらルシルヴィーネは走り出す。遠ざかる彼女の姿を見送ったあと、ティルドラスは再び頭を垂れ、涙に暮れるのだった。
 時にミスカムシル歴二八二一年十月。ティルドラスの苦難はまだ始まったばかりだったのである。〈了〉

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