近代・鬼女怪談の変遷/吉田悠軌・オカルト探偵
1979年以前から日本各地に「出没」していた口裂け女。そのルーツをたずねれば、はるかに古く鬼女や山姥にまでたどりつくことができる。「口の裂けた女」のイメージの淵源を求め、オカルト探偵の思索はさらに時代をさかのぼっていく。はるかに古く鬼女や山姥にまでたどりつくことができる。「口の裂けた女」のイメージの淵源を求め、オカルト探偵の思索はさらに時代をさかのぼっていく。
文=吉田悠軌 #オカルト探偵
口裂け女の前史に迫る!
当連載では前2回にわたり、1979年の大流行前、70年代の日本において「口裂け女」という噂がどのように広まったかを特集してきた。
その基としたのが「口裂け女の噂を聞いたのはいつか」という私個人のアンケート。実はこの前、「週刊女性」でも似たアンケート(300人規模)をとってもらったが、やはり噂を聞いた時期は75年〜78年の回答が多く、おおむね私の調査を裏づける結果だった(※1)。
そこで興味深かったのはより昔の「1960年代」の事例だ。
「口が異常に裂けた女が子供を連れ去る」(63年、神奈川)、「マスクしていて取ったら食べられる」(67年、大阪)など、人さらい・子喰いといった要素が見られたのだ。
また77年の事例になるが、私の知人男性(52歳)は熊本市での小学生時代、「口裂け女は弁天山に出没する。つかまると阿蘇山に連れ去られる」噂があり「当時の親の決まり文句『人さらいが出るから早く帰りなさい』と結びついていた」という。
これらは明らかに、人をさらって食らう「鬼女」や、山に棲む「山姥」がイメージされている。都市伝説の元祖といえる口裂け女も、過去には実に昔話めいた扱いをされていたようだ。
さて、前2回までは注意深く、あくまで「口裂け女」という限定された同一種の噂のみを扱ってきた。しかし今回はそこから飛躍し、あのキャラクター造形にいたるまでの「口裂け女前史」を考察していきたい。そこで注目するのは明治〜戦後の「口の裂けた女」の具体的なイメージ例となる。
つまり「蛇女」と「櫛をくわえた女」だ。
もちろん日本では昔から、「口の裂けた女」が頻繁に登場する。狼や蛇のような大口は最もわかりやすい怪物イメージであり、それが「女」に付与されると鬼女や山姥になる。
鬼女の元祖にして丑の刻参りの元祖である「橋姫」は、顔も体も真っ赤に塗り、宇治川に21日間つかることで本物の鬼となった。吉崎御坊「嫁おどし肉付きの面」もそうだが、鬼の仮装をした女たちは、仮装だけのつもりであっても、ついには心身ともに鬼へ変化してしまうものなのだ。
怪物化の行き着く先はどこか。能の演目『鉄輪』『葵上』『道成寺』『黒塚』では、嫉妬や怒りに満ちた女たちの顔は口の裂けた「般若」の面で表される。そして「般若」をさらに怪物化したものが「真蛇」。もはや耳も消え(〝聞く耳もたず〞の象徴)、無情な瞳と般若以上に大きな口が強調される。口の裂けた女の最終形態は、鬼より非人間的な「蛇」なのかもしれない。
ここで漫画家・楳図かずおが61〜68年に発表した「ヘビ女」ものの連作を思い出そう。ヘビ女シリーズ各話はパターンがほぼ決まっており、①継母であるヘビ女が、継子である主人公への子殺し(子喰い)を目論む。②継母はもとは人間だが、精神異常や悪意から、ヘビ女の仮装をするうち、本当の怪物へと変化していく。
物語のクライマックスは、もちろんシリーズ第一作のタイトルと同じく、継母の『口が耳までさける時』だ(※2)。彼女たちもまた、悪しき情念に心を病み、怪物の仮装をしながら、本物の蛇(鬼)となった女なのだ。
ヘビ女シリーズは、楳図の出世作というだけでなく、日本における「恐怖マンガ」の元祖でもある。楳図自身が、それまで「怪奇」と呼ばれたジャンルと区別するため「恐怖マンガ」の呼称を発案したのだ(※3)。「幻想と怪奇」から、より怪談的な「恐怖」へ……。
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