ロシアのUFO墜落ケース「ダリネゴルスク事件」の謎/並木伸一郎・フォーティアンFILE
UFO、UMA、心霊現象など、世界の謎に並木伸一郎が鋭く切り込む。
今回は、知られざるUFO大国ロシアで起こった「ダリネゴルスクUFO墜落事件」を詳細に検証していく。
アメリカに次ぐUFO大国「ロシア」
UFO目撃事例が最も多いのはアメリカであることは周知の通りだが、冷戦時代に米国と対立したロシア(旧ソ連)にもUFOホットスポットは数多く存在する。
たとえばペルミ地方には「モリョプカ・トライアングル」と呼ばれる多発地帯がある。19世紀初頭に地元の教会の神父が正体不明の飛行物体を目撃した最古の事例とされ、その後も火球やヒト形の巨大な影など、さまざまな形状の飛行物体が目撃されてきた。
旧ソ連時代にもっともUFOの出現が多発したのは、北部中央に位置するエカチェリンブルクの「スヴェルドロフスク・トライアングル」だ。1980~90年代に、未確認飛行物体が頻繁したこの地は“UFOの通り道”として、今でもリサーチャーたちの注目を集めている。
ほかにも、UFOが上空で爆発した1908年のツングースカ爆発事件、1968年にスペルドロフスク近郊の森林地帯にUFOが落下したべレゾフスキー事件、2013年にチェリャビンスク州を衝撃波で覆った落下事件など、UFO史で重要視される事例がいくつもこの国で発生している。
とりわけ、ソ連崩壊後にリークされたベレゾフスキー事件の映像フィルムは、地面に突き刺さった直径5メートルのUFO、現場検証を行う科学者らしき集団、物々しい軍人の姿が映り込んでおり、世界中に大きなインパクトを与えた。
そしてもうひとつ、ベレゾフスキー事件とともに、“落下したUFOが機体を修理後、飛び去った”と噂されている「ダリネゴルスク事件」も忘れてはならない。
極東沿岸部の鉱工業都市で起きたこの事件では、映像しか存在しないベレゾフスキー事件と異なり、多くの目撃証言と興味深い物証が採取された。サンプルからは看過できない検証結果も得られているが、現在はUFO事件の古典のひとつとして歴史に埋もれてしまっているのが実情だ。そこで本稿では、一連の研究結果を俯瞰して見ていくことで事件の再評価を行っていきたい。
冬山に激突した謎の飛行物体
ダリネゴルスクの名を世界に知らしめる事件が起きたのは1986年1月25日のこと。午後7時55分、極寒の夜空にオレンジがかった赤い光球が飛来。南西方向から飛んできた光球はダリネゴルスク上空を横切った後、イズヴェストコヴァ山に激突した。
目撃証言を総合すれば、物体の大きさは直径1メートルほど。形状は真円に近く、翼や窓のような構造物は認められなかった。その表面は磨き上げられたステンレス鋼を連想させるものだったという。
低空域を飛ぶ物体はイズヴェストコヴァ山上空に達したところでふらつき、制御を失ったかのように墜落。落下時の衝撃音は極めて短かったようで、聞こえなかったと主張する者もいるが、衝撃音とともに振動を体感したという証言もある。
その後、フラッシュのような強い光が瞬き、赤みがかった白く大きな炎が上がった。炎が燃えつづけた時間について、1~2分という主張もあれば1時間、あるいは夜半過ぎまで延焼したという者もいて、証言が割れている。
ネットの海からあなたの端末へ「ムー」をお届け。フォローやマガジン購読、サポートで、より深い”ムー民”体験を!