実話怪談と心霊ドキュメンタリーが追った「恐怖のリアリティ」/吉田悠軌・オカルト探偵
「実話怪談」と「心霊ドキュメンタリー」。一般的にはほぼ同じジャンルと思われがちだが、その実、両者は正反対のベクトルを歩んだといっていいほどに違うものなのだ。90年代以降、「不思議とリアリティ」を追い求めつづけたふたつの文化運動の現在地とは?
文=吉田悠軌 #オカルト探偵
「実話怪談」と「心霊ドキュメンタリー」
私は「オカルト探偵」を名乗ってはいるが、オカルト全般の知識が深いわけではない。あくまでメインの活動は「実話怪談」の収集と発表である。
「実話怪談」はかなり新しいムーブメントで、ポツポツと始まりだしたのは昭和末期から、本格的に稼働したのは平成をしばらく過ぎた90年代末あたり。また「実話怪談」なる言葉は「怪談実話」や「怪奇小説」「ノンフィクション」といったジャンルの定義を示していない。ここ30 年間の日本で展開した、怪談における「不思議とリアリティ」を追及する文化運動を指す名称なのだ。
これに似たものはもうひとつある。1999年『ほんとにあった‼ 呪いのビデオ』(以下『ほん呪』)リリースから始まる、映像における「不思議とリアリティ」を追及した文化運動だ。それは「心霊ドキュメンタリー」と呼ばれる(以下「心霊D」。なお本稿では「心霊D」を本物の投稿映像ではなく、製作陣による創作作品として扱う)。
ふたつの運動は同時期に発生し、多数の人々に蔑まれつつ、一部では熱狂的ファンを得て、ジャンルを成長させていった。
そして同じ出発点から似た目標へ向かったはずが、ひたすら逆方向へ歩を進めた結果、それぞれまったく別地点に辿り着いたという……カインとアベルのような哀しい兄弟でもある。
「実話怪談」も「心霊D」もゼロから生まれたわけではない。彼らの誕生前夜を概観することで、その成り立ちを考えてみよう。
昭和末~平成初期の怪談文化として見逃せないのが「投稿」文化だ。インターネット以前にサブカルチャーを牽引していたのは、深夜ラジオや若者雑誌。またこのころ、「都市伝説」の前身としての「噂」に注目が集まっていた。ラジオのリスナー投稿もだが、とくに血気盛んだった当時の若者雑誌が、読者投稿の「噂」を取り上げ&盛り上げる図式が完成していた(その最大の祭りが、89年に「人面犬」を意図的に社会現象化させた『ポップティーン』だろう)。
だがこのころの「噂」はのちにきっぱり別れる「都市伝説」「実話怪談」の差異が明確に意識されていなかった。そのため「噂」のメインとなる恐怖譚においても、実体験談から怪しい流言(友だちの友だちから聞いた話など)までが一括りにされていた。
そんななか、個人の実体験に限定して実話性を担保し、かつそれを映像的に漫画化したのが『ほんとにあった怖い話』(87年~)だ。怪談というよりホラー映画ブームの中で発刊された漫画雑誌「ハロウィン」の別冊として、しかし既存のホラーとは異なる怪談の「リアリティ」を打ち出した。またそれが深夜ラジオや読者投稿コーナーのような声・文字による表現ではなく、数多くの漫画家による豊かなビジュアル性を伴っていたことにも注意したい。
リアリティへの志向は映画界にもあった。1988年、心霊フェイクドキュメンタリーの元祖であり、革新的な幽霊描写をなした『邪願霊』(監督・石井てるよし)が制作される。
当時のスプラッター・ホラー、それも劇場映画ではなくオリジナルビデオ(OV)群は、たとえば『ギニーピッグ』シリーズ(85年~)に代表されるような独特のサブカルチャーを形成していた。流血の残虐性とともに、それこそ「噂」と同根の、俗っぽい虚実の曖昧さをまとっていた。
しかし『邪願霊』の目指す恐怖はスプラッターやスラッシャーではなく「心霊」的なもの。幽霊という不分明な存在を、肉眼どころか映像に収めるという無理難題を、いかにリアルに描写するかにあった。
合流点としての『ほんとにあった怖い話』
このふたつの支流が混ざり合ったのが、91年に製作されたOV『ほんとにあった怖い話』(以下『ほん怖』)だ。監督は鶴田法男、脚本は『邪願霊』も担当した小中千昭。後に彼らと「Jホラー」を築く高橋洋や黒沢清もまた『ほん怖』から大きな影響を受けている。
とくに第2夜「夏の体育館」に登場する赤い女は、「貞子」に匹敵するほどの影響を日本に与えたといえるだろう。赤い服・高身長・奇妙な動きをする女幽霊の描写を、黒沢清は大絶賛。後に自身のホラー作品『花子さん』(2001年)『回路』(2001年)『叫』(2006年)でも「赤い女」を重要な幽霊役として登場させている。その他、多くの学校の怪談・都市伝説にも似た女が登場するようになったし、2008年のネット怪談「アクロバティックサラサラ」も同じ系譜に位置づけられる。
それどころか、この赤い女は現実世界にも飛び出してしまった。読者投稿をもとにしたという小野不由美『鬼談百景』中の一話『赤い女』(2004年)や、私自身の取材による「実話怪談」でも、似た女を見たとの証言が続出しているのだ。小池壮彦は『呪いの心霊ビデオ』(2002年)にて、「夏の体育館」の赤い女を「単に人間らしくないのではなくて、もともとは人間だったのに人間っぽさがなくなっているというところに幽霊のリアリティが生じる」と評した。まさに“リアルな幽霊描写”の先駆けだといえよう。
もともとは『ハロウィン』読者恐怖体験の投稿者・M(埼玉県)という一少女の体験談だったものが、映像化によって強固なイメージを獲得。この赤い服・高身長・奇妙な動きをする女は、多くの人が実際に目撃してしまうようになるほど、日本における幽霊のリアリティを変革してしまったのである。
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