丸みを帯びて
丸みが楽なもので伸びきて面倒くさくなると
丸みになるのだが、近頃デフォルトが丸みなのでもう何も言われなくなってきた。
図書館に滞在中、無償に丸みを求めていた。
初めていく床屋で調べたところ、
評価は星2.1、最悪の評価だ。
カットが1200円、激安、口コミは散々、
そもそもこの値段のカットでいちゃもんを
付けるなという話だ。
それなりの値段にはそれなりの対応があり、客の許容範囲も広くないと難しいのだ。
安いからこその荒さを受け入れようではないか。
これは低価格帯のものを肯定する様な物言いだが、資本主義的大量生産大量消費とは違い、
サービスにおいてである。
僕はまだ丸み歴が浅く、丸くするのにこだわもないので評価は気にせず行ってみた。
僕と同タイミングで入ってきたおじさんは席に座り鏡越しに不服そうな顔しながら毛先をパツパツ切られている。何故か来た時より表情が険しくなっている気がする。髪を切るってのはどちらかというとテンションが上がるシーンなのだが、、、
切っている人もなんだか集中力に欠けていて、
人を選んでいるかの様だ。
僕の番だ。
実年齢と不相応に高校生と言われたので、
はいと答えて反応を見ることにした。
この湿ったい手捌きと口調、
フィリピンやタイに初めて行った時に目にした
本場のオカマの人たちを思い出す。
毛嫌いをしている訳ではなく、
湿気が多い人が苦手なのだ。
どうやら僕はこの人からすると可愛い対象で
さっきの人とまるで僕に対する対応が違う。
頭をやたらと撫でられては、
会話を続けようとしてくれる。
どうやら外見による若さ、それと雰囲気故に
この様に親切に接客をして頂いた。
可愛いと言われることは
嫌な事ではないのだが、違和感がある。
可愛さを求めて丸くなっている訳ではない。
能動的な可愛さを求めている節は毛頭無いから丸いのだと。
可愛さとは一体なんなのか?
一般的な可愛さはこうだと思う。
この3点が基本だろうか。
視覚→形、色、サイズ、
聴覚→声色や音色、音程、強弱、リズム
触覚→なめらかさ、柔らかさ、
これらの要素が当てはまる時、
雰囲気で可愛いと言うのである。
そしてこれらの要素が結びついて、
赤ん坊を見た時、ゆるふわキャラクターを見た時、未熟さに可愛いと思える。
攻撃性のない抗い用のない様をみてである。
人間で言うと視覚的には
顔のパーツのバランスが良かったり、
目が大きかったり、唇が分厚かったり、
一般的には童顔が可愛いと言われる。
体型は小さかったり、ふっくらしていたり、
それに該当しない場合は予想される行動とギャップのある動きであったりする。
聴覚的には幼い声、高い声、リズムがゆっくりである様、話す言葉の音階であったりだ、
触覚的には赤ん坊のもちもち、すべすべとした肌、ツルツルであったり、滑らかな感触が心当たりがあるのではないか。
可愛さは時に武器となる。前に擬態という記事で似たような事を話していたが、可愛さもそのうちの一つの要素なのではないかと思っている。
可愛いけど凶暴だったり、有毒であったりする。
例えば肉食動物は顔が可愛い、サバンナで狩りをして捕食しているシーンを見て口周りを血だらけにしている様子を可愛いと思うだろうか、
彼らが可愛いとされるのは
ネコ由来の性格もあってである。
これは人にも当てはまり、そっけない人達は僕は猫気質であると勝手に思っている。
つまり可愛さは
(美しさ)📍(グロテスク)の近辺に位置しており、生物の中で人間視点から上澄みの所をもぎ作られたアイコン的キャラクター性の構成概念として存在していて、そしてそれらは天然由来で
あったということである。
可愛さには奥行きが必要なく、
奥まで行き渡る様はもはや可愛さの領域を越え描写の中にある精密さに潜むのは可愛さよりも明確な形容詞だろう。
プリクラの機械の広告の台詞で、
可愛さは正義という言葉を見たことがあるが
確かに一理ある。
先天的、後天的にせよ、
可愛さで緩和されるところが、
僕らにはある。
自分から見た自分と人から見た自分は勿論違う。
誰が誰のための丸みなのか?
僕は丸いのかすら分からなくなってきたので
この辺りで行きたかった銭湯へ行こうと思う。
見渡してみると。
お爺さんの頭は丸い、目も丸い、表情も丸い、
タマも丸い、湯船に浸かっているとポカポカしてきた。確実にさっきよりかは今日の輪郭が丸くなり始めていて、歪なものこそ実は丸みを求めているのだと。
丸いものは転がりやすい。
スーパーボールは丸くてあちらこちらを反射して行き来する。人の思いが繋がって輪になる。
丸くて幸せ。そんなcmがあったな。
メロディーと共に、
バリカンがバリバリと音を立てて押し寄せてきやがる。
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