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おやごころ。
『お弁当さぁ、きょうサラダ入ってるんやけど、塩コショウ振ってるから味ついてるよ。』この一言にいっぱいの感情が詰まってたことを帰りの車内で振り返って思った。
けさ、起こしても起きなくて寝坊で遅刻の時間になって「パパ送ってー」とだけ言いにきた高二の娘を乗せた車内でなんかすっかり母親みたいなことボクは言うた。 ほんの1.5KMほど先の学校だからすぐなんだけど車に乗ってすぐ元彼女との想い出が詰まってるミーシャの曲がラジオから流れてきて聴き入ってた。
『この曲パパがママと出逢う前に付き合ってた彼女が留学してるとき日本で流行ってたドラマの主題歌やで』と無言を打ち消すちょっとしたユーモアみたいな気分で言いたかったけど、妻を亡くした親子関係で多感な時期でもある娘に言う事でもないと思い直して飲み込んだ。
だけどつまり、『たくさん音楽を聴いておくのは良いぞ、なぜならこうして30年も前の切ない感情がふと流れた曲ひとつで思い出させてくれるから。』人生の先輩としてこの事は伝えたい。まぁまたいつか言おう。
そんなこと思ってたから出発からずっと無言が続いてしまった。「パパは怒ってるから黙ってる」と思われたくなかったため代わりに出てきたのはお弁当の中身のこと。
作ってる時から "液体のドレッシングより塩コショウを選んだけど分かってもらえるかな" とふと心配になってたのでそれを申し伝えておくほうがいいだろうと素直に思って出た言葉。
お弁当の中身を言う事はほとんどない。作ってやったんだと恩着せがましく思われるのを避けたいから。裏を返すと "まだまだ作ってやってる" というマウントめいた意識がある。それをを悟られたくないと思ってるということ。あとは美味しくないとダメ出し喰らうのがこわいから言い出せないってものある。
頑張ってワンオペ・パパをやってるのだけどその苦労を知られなくてもいいと、ようやく少し思えてきてるようだ。それは母性本能なのか父性本能なのか分からないけどとにかくそういう事。ちょうど月末で妻を亡くして2年。
妻が亡くならなかったらこんなふうに子に寄り添うことなかった。それまでは家・家族を顧みないイケてる風の父親路線を走って良いパパぶってたから妻の気苦労など気づきもしなかった。
いやそもそも自分の母親からも当然こんな会話はあったはずだがボクはまったく気づいて来なかったバカ息子だ。そう気づいたのも最近だ。
娘をチラッとみたらイヤホンで音楽聴いてたようだ。無言をなんとも思ってなかったわけだ。ちょっと心折れた。けどボクの言ったことは聴こえたみたいで「はい。」とだけ返事がきた。親心など何も諭らず字面だけの内容をインストールしたようだ。昔のボクそのものだ。
こういうのがこの先も永遠と続くのだろう。今初めて親というものをやってる気がする。