模範的ちゃんのトンチンカンな応援
とても模範的で優しいのだが、全く心に響かないある友達の言葉。
応援してもらえてありがたい。のに、突発的に「何言ってんだ?この人」と思う事が、この友人に関して稀にあるw
それで、「何故私の心をわかってくれないのでしょう?」と理解してもらいたいということをやめて、「何言ってんだ?コイツ」と突き放してみたら、何故か看護師長の顔が浮かんできた。それで、自分の本当の気持ちが見えてきた。
具体的には、友人に大変だろうけど頑張って!と言われたのだが、
自分の大切な人が病気で闘っているときに、ともに闘える事は大変でも何でもないし、ともに闘える事こそありがたい事だ。
日々の事は、病院のスタッフが丁寧にお世話して下さる。たしかに、もっとあーしてほしい、こーしてほしいはある。けれども、何もかもできるわけではないし、思った通りに働いてもらえるスタッフを雇えるお金もない。本当に歯がゆい(正直に言うと、金にものを言わせて好き勝手したい!そうしたらもっと良くなる事はわかっているから)。
だからこそ、今ある中で、時に不満を感じながらも感謝して一瞬一瞬を噛みしめていくのだ。
本当に優秀で優しい言葉をかけてくれる友人。
素晴らしい!の一言なのだが、どうしても「は?何言ってんのこの人」と思わずにはいられない(本当に申し訳ない😢ありがとうとは思っているよ)。
その度に、何に怒りを感じたのか、自分を見つめ直してみる。
すると自分の本当に望むコトやモノや体験した者だけが理解できる思いが溢れ出してくる。
それが地球での体験というギフトだと気づく。
そうして次に進むステップが脳内に溢れ出してくる。
模範的回答から感情丸出し
ある時ある人が、私に話しかけてきて、模範的な回答をしていたら、「きもい」と言われた。
それで、その後は、感情のおもむくままに話しだしたら、キモいと言ってきた人が、しょっちゅうくるようになり身の上相談までするようになった。
感情のぶつけすぎは、よくないとしても、感情を表出する事の大切さを知った。
そういえば、模範的な回答を私に望んでる人っていなかったな?とこれまでの対人関係を思い出した。
手前味噌かもしれないが、私なら、人と違うことを言ってくれるだろう、私なら助けてくれるだろう、というような人がよく集まってきた。
これは、ビジネス界や様々な業界で、お客様の心に寄りそって~と同じ事だと思う。
人間は、誰もが自分を理解してほしいのだ。
本質をすくい上げて、真面目になりすぎずに対応していると、何故か笑顔になっていく。
これが人を幸せにするって事なんだ。
そのためにも、人格向上努力の日々である。
そして言葉選びの勉強である。
付録
プットアウトする事で、新たなアファメーションの言葉が浮かぶ!
今回は、「お金持ちの私が金にものを言わせて好き勝手自由にする」である。こんな偉そうなアファメーション、ブログに気持ちをプットアウトするまで思いつかなかったぞ!
ウフフ🤭お金の使い道は、個人的な事以外にもあって、お世話になった組織や人達にこう使おうと、よく妄想している私です。
宇宙銀行宜しくお願いします!
ちなみに昨日の夜は「神様の奇跡が見たい!」とブツブツ言いながら眠りについた。
自分の大切な人と同室の人も平癒したら、もうそりゃあ凄い奇跡だから、それを見せろ!と言いながら眠りについた。