当たり前の中で暮らして、当たり前のことに向き合うって、とても体力がいる。
これはとある林業女子の頭の中を綴った日記である。
林業に興味を持ったのは、2019年1月のこと。
高知県佐川町の地域おこし協力隊の募集を見て、なんとなく説明会に行って何となく面接を受けた。
佐川町でやっている林業を教えてもらい、現役協力隊の人にも会った。
取り組みはきっと先進的で、町としてのバックアップもしっかりとあるようだったが、楽しそうでは、なかった。
結局、佐川町には行かずに、尊敬する某牧場長の紹介で、今は鳥取県智頭町で林業の現場で働かせてもらいながら勉強をしている。
女だから、体力がないから、それ以前に全然お前は使えない。そう言われ続けながらも、少しずつ進むしかない。
木を倒すのは怖く、自然を相手にしながら何を考えているのか分からない親方さんとのコミュニケーションに右往左往しながら、日々を生きる。
はじめて8ヶ月
チェーンソーの燃料キャップすら外せなかった4月から、8ヶ月経った。
鳥取県智頭町で林業をしていて、感じたことはたくさんある。
林業は、生態系の破壊なの?
林業って、木を切るだけなの?
山という存在は、わたしの暮らしとどう繋がっているんだろう。
自伐型林業と今までの林業は何が違うの?
答えがないたくさんの問いを言葉にしたくて、このノートを始める。
生態系という当たり前の安心感の中で暮らしてきた
自然で生まれた木を切ると、木はくっつかず、そのまま乾く。
金属は熱を加えると溶けて、くっついた後、冷める。
土に水を流すと、土が湿り、重力の赴くままに土と水は流れていく。
動物は殺すと死ぬ。
人も殺されると死ぬ。
問わずとも解る当たり前の問いに、「なぜ?」と考える。
これを聞かれると、とてもめんどくさい。
当たり前のことだし、もう答えは出てるじゃん。本読めば書いてあるじゃん。そう思ってしまう。
逆に、答えのない問いについて考えて、自分なりのアンサーを考えることはとても楽しい。
答えは無限にあるし、誰かにとっての不正解もあれば、誰かにとっての正解もたくさんある。
そして、それが世の為人の為であり自分の為、そして暮らしていけるお金にもなったら、どんなに幸せだろうか。
.......そして、みんなが答えのない問いのことばかり考えていたら、どうなるんだろうか。
当たり前を当たり前として素通りしたいったらどうなるんだろうか。
そんな答えのない問をよく考える。
そして、自分なりのアンサーを出す。
「きっと、当たり前の自然の摂理が破壊されていく。」
わたしは当たり前を疑い、当たり前に向き合える人でありたい。
そして、その作られた当たり前に苦しむ人がいたら、大丈夫だよ、と言いたい。
作られた当たり前の答えは無限にある。気にしなくていい。
信じ、疑っていいのは、自然の中の当たり前だよ。