見出し画像

山は人ごとになった世界


山は田舎の人のもの

東京生まれ、東京育ちの私にとって、山は関係のない田舎の人のものだった。


実際の所有権の話ではない。
山の近くに暮らす人が山の恵みを受けることができるし、綺麗な水はそこでなければ飲めない。 

都会の川の水が濁っていることは地球規模の環境問題せいだし、自分ごとのようで60億分の1の自分には、やっぱり実感が湧かない。

たくさんの技術と知恵と開発で張り巡らされた東京という場所で、勉強が苦手な自分に何ができよう。そうとしか思わなかった。

映画「WOODJOB!」をみたこともあった。
それでも、不思議と映画の中の世界はひたすらに「ファンタジー」でしかなかった。


現実味のあるファンタジー

ある時たまたま林業に触れる機会があり、そうじゃないのかもしれない、と思った。

ある町ではたった3人の役場職員が、町の山の所有者を毎日毎日調べ、林業事業体の施業がしやすくなるように勤しむ。
(高知県佐川町は全国でもトップレベルの地籍調査率だ。)

たった1台のユンボを動かす、たった1人が、ある1日の中でどう山を触るかで、そのすぐ下に流れる水の流れが変わった。
(鳥取県智頭町で教えてもらった、道づくりの、ほんの一幕。)

広大で急傾斜な山の土地を持っていながらも手入れが出来なかった場所に、1人の林業2年目の男性がきて、コツコツと、小さく、それでも人と山に深い愛を持って、手入れをはじめていた。
(静岡県浜松町の天竜は、川の水のために林業を始めたパイオニア)

水が流れて土が削られた所に、石を積んで土が溜まり水だけ流れるような小さな土手を作る。数週間後には削られたところが少しずつ通りやすくなっていった。
(はじめて、自分がやったと感じている大切な場所)


山は誰のものなのか。


山という存在は人ごとじゃない。
少しだけ林業に触れただけで、
そう強く、身体中で感じた。


山が近くにあるから、このようなことができる。もちろん正解。
だけど、山が遠いからできないわけではない。
きっと、山が遠くても人ごとなわけではない。


アウトドアブーム、山ガール、グランピングなど、生活の居場所の中に、アクテビティとしての山という選択肢が年々増えていっているような気がする。

気軽に山へ出向ける人もいれば、少しリッチでガッツリ時間をかけて山に行くという人もいるだろう。

全国の事業体の努力。
映画うっしょぶの影響。
行政の理解や協力。
で、林業をはじめる人も増えている。

山という存在は、誰のためにあるか?
動物のためでもあるが、確実に、人間の為でもある。
その存在が日本には国土の9割を占めているのだ。

自分にできることはなんだろう。
今のあなたの仕事は、山に全く関係がないだろうか。

何か山を意識した生活をしてみると、生活が少し面白く、豊かになるかもしれない。


いいなと思ったら応援しよう!