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見えない成果を望みながら、落ち葉の掃除と子どもへの教育を続けること

【永遠に続く作業、落ち葉の掃除をしながら思うこと】


学校環境は、子どもたちの気持ちを育むのに大きな影響を与えると思います。環境が清潔であれば、それが行動や心の持ち方の基準となり、学校全体に落ち着きを与えるように感じます。

この理念を心に、私は毎週、ベランダに続く落ち葉を掃除しています。

落ち葉は掃いても掃いても永遠に終わらないもの。一度清潔にしたと思えば、すぐ上から新たな落ち葉が降ってきます。この様子に「無駄なことをしているのではないか」と思う人も少なくないでしょう。
しかし私は、この行為について考えると、無駄ではないと感じます。落ち葉を掃いた後のベランダは一時でも清潔であり、その状態自体が「行動の正しさ」を指し示すメッセージになります。これは、教育にも通じると考えませんか。

教育においても、子どもたちに同じ間違いを何度もされることがあります。なんど説明しても変わらない様子に「努力は無駄なのでは」と思う場合もあります。しかし、時間をかけて観察すると、子どもたちの心にすこしずつ効いているのを感じることがあります。落ち葉の掃除と同じで、上を見れば「やがて落ち葉は少なくなる」ように、教育の効果も時間と共に表れてきます。

教師の行為は子どもたちの行動に表れなくても、木に残る落ち葉減っているように、子どもたちの心に響き少しずつ影響していると思うのです。

しかし、これを忘れ、落ち葉を放置すると、やがて雨殿がつまり、ベランダ自体が腐ってしまうかもしれません。これは、教育における「未来への思わく不足」に等しいと言えます。

落ち葉を掃いても終わりが見えない作業に、教育の意義を重ねて考えています。ただし、この作業を続けられるのは、ある程度経験を経た人だと思います。若い教員たちはこれを理解しておらず、関心も示さないことが多いからです。これを理解するには、経験と取り組みの重練が必要かもしれません。

しかし、現在の若手管理職の多くは、このような環境整備の重要性を理解せず、ただ文書の提出を納期通りにこなすことに重点を置いているように感じられます。そして、若手教員には自分の経験だけからエビデンスのない指導を行うため、学校の活力を削いでいるように見える場合もあります。


以前の管理職の方々は、これら環境整備のような地味でも重要な作業に時間をさいていたように思います。


和歌山県では、管理職試験に何に重点をおいて採用基準をわかりませんが、私のようなものが落ち続けたことをみると、基準は上記のようなこととは違うところにあるのかもしれませんね。


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