悲劇!校長により人生が大きく変わってしまう
教育長の驚きの言葉から
「先生がこの学校に赴任すると決まったとき、すぐに前の町の教育長から連絡があったんや。『管理職を目指している先生が行くから、頼むよ』ってな。それで、すぐに校長を呼んで話をしたんや。でも、その校長は『推薦はしない』と言い張った。自分のポリシーやからと。なんとかならんかと言ったが、自分の考えを曲げなんだんや。」
そんなことがあったのに、この仕打ちか……!
若いころの思い出から
若いころは、頑張っていれば自然と出世するものだと思っていました。しかし、実際には試験があることを知り、そのタイミングがいつなのかもわかりませんでした。ある日、前任校で校長、教頭、私、の3人だけが職員室にいるとき、校長が言いました。
「君もそろそろ管理職となっていくべきだと思うが、今年は教頭先生が校長試験を受けるので、推薦は来年になるけど、それでもいいか。そして、来年は校長会が行っている管理職試験の研修会に参加してみなさい。」
「はい……」こうして、管理職への道が開くのかと思いました。
翌年、校長が転任したため、推薦の話は消滅したかと思っていました。しかし、新しい校長がやってきて、こう言いました。
「今年、管理職試験の推薦をしていくから、しっかり勉強してください。それと、日曜にある研修会の日を空けておいてください。」
研修と試験
校長会が主催する管理職試験の研修には、市内からベテランの退職校長がやってきていました。私と友人は場の雰囲気を明るくし、研修後に呼ばれて、
「先生たちはまだ教頭試験か。早く校長になってくれよ。名前と学校を教えて。」
と、名簿に〇をつけられました。なんだか良い雰囲気だと思っていましたが、最初の試験では一次で不合格。しかし、翌年は勉強量を増やし、一次試験に合格しました。周りが一次で落ちる中で、ようやく町の中で選ばれた感じがしました。二次試験ではだめでしたが、一次試験に通ると翌年は合格する確率が高くなります。四十代後半で教頭になるのは当時としては順当だろうと思っていました。
転任と新しい校長
翌年、当時の校長の勧めで大きな学校に転任するほうが有利だと言われ、隣の町に転任しました。
前任校でもそうでしたが、私が行く前、学校は非常に荒れていたらしく、1階の窓ガラスがすべて割れるという事件がありました。しかし、私が赴任し、さまざまな取り組みを行うことで、学校への苦情を言う保護者が一人もいなくなりました。不登校も解決し、保護者が協力的になりました。そんな実績を持っての転任でした。
新しい学校の評判も良くなく、保護者が学校や教育委員会に苦情をかなり言っていたらしいのです。その上、育友会長が学校に激怒して卒業式での祝辞を辞退するほどでした。しかし、その育友会長も私が担任したときに協力的になり、再び育友会長を務めてくれるようになりました。
このように保護者がいい方向に変わる関係性の持ち方にも方法があると思うので、それについてはいつか書いていきます。
管理職試験への道
さて、話を戻します。転任したばかりの学校で、まず校長に挨拶に行きました。担任希望や学校の様子について話した後、管理職試験のことが話題にならなかったので、私から切り出しました。
「校長先生、実は私、管理職試験を受けておりまして、昨年は一次試験に通りました。ですから、今年度も試験を受けたいので、推薦をお願いしたいのです。」
校長はすぐに答えました。
「それはできんな。初めて勤務する先生を推薦するなんて、僕のポリシーに反する。どうしてもというなら、君の仕事ぶりを見て納得できたらするかもしれないが、それもあまりしたくないんだ。」
「はぁ、そうですか。頑張りますので、よろしくお願いします。」
「ああ、わかった。」
この話を友人にしたら驚かれました。
「そんなことを言う校長が今時いるのか? 人の人生をなんだと思っているんだろうね。」
と不思議がられました。
校長の拒否と不合格
担任をした子どもたちはかわいいものです。どんな事情があろうとも、子どもたちには関係ないことなので、この学校でも子どもたちのために頑張りました。
6月になり、意を決して校長室の扉を叩きました。
「校長先生、管理職試験のことです。推薦をいただけないでしょうか。」
校長は即答しました。
「無理やね。君のやり方にいい所なんてないな。だから校長推薦は書かない。それで、校長推薦ができない場合、自主推薦として試験を受けることができるらしいけど、その自主推薦でも校長が書かないといけないらしい。君のことでそれさえ書くことなんてないね。」
「はぁ、そうですか。でも期日まであと少しあるので、なんとかならないでしょうか。」
「難しいね……。」
このことを嫁に相談すると、「そこまで言われて試験を受けられるの?大丈夫?」と心配され、「そうか、今年は辞退して、来年にするか」と試験を諦めることにしました。
翌日、校長室に行き、このことを伝えました。
「校長先生、今年は難しいとのことなので、来年度受けることにします。」
校長は嬉しそうに答えました。
「そうか、そうか。それなら、来年の校長には推薦するように言っておくからな。」
なんだそれと思いながら、校長室を後にしました。
この校長、今年が退職で、退職記念に3学期に研究会を開くというのです。私の推薦はしないが、自分の研究会にはしっかりとレポートを提出するよう指示してきました。納得いかないまま、一年が過ぎました。
修了式での手紙
そして一年がたち、修了式の日。
ある子が「お母さんから」と手紙を渡してくれました。それが下の写真です。
内容は以下の通りです。
「一年間、娘の担任をして下さり、ありがとうございました。私にとって、丸7年間、小学校の担任をみてきた中で、先生が一番子どもと向き合って、先生というより、子どもたちの親の様に見てくれていると、私はずっと今までにない先生だな~と思っていました。親とこどもの悪い所をはっきり言ってくれる先生も、先生が初めてでした。私だけじゃなく他の親も言ってました。私にとって、こんな先生が一番いてほしい先生でした。型にはまっていない教育法も今までになく、他の先生たちも先生のようなら子どもたちも真っすぐに成長していくのでは・・・と思ったりもしていました。今まで親の顔色ばかり気にしている先生ばかりでした。
先生がこの前、電話で「あの時、ふざけていました!」と言われたとき、こんなに言ってくれる先生ってすごい!!とビックリしました。
私は子どもが大事で大好きで・・・でも悪いこともうそもつくことも・・・。それもわかっていました。
これからもずっとこの学校にいてほしいです。私は先生にもズケズケ言いますが、先生も親にハッキリしたことを言ってほしいと思っていました。
これが一年間思っていたことです。
ありがとうございました。弟も担任してほしいです。(^^♪)
この手紙を読んで、校長がしてきた学校づくりと親の苦情が多い理由がわかりました。
そして、自分のしていることが子どもたちや保護者のためになっていることがわかりました。校長には否定されても、保護者はしっかりと見ているようです。
校長に否定され、不合格へ
こうして、私はこの校長に否定され、その後は和歌山県の教育委員化からずっと不合格にされていくのです。
この校長がした納得しない出来事が、退職後にもあるのですが、それは次回に。