職場のお局様対応から見る、いじめがなくらないわけ・・・
いじめをなくすことは本当に可能か?
いじめを社会から完全に排除することは、私は難しいと思います。それは、いじめが生まれる土壌そのものを変えることができないからです。
学校では「いじめはだめだ」と教えます。そして、「いじめを見て見ぬふりをすることも良くない」と指導します。しかし、大人でさえこれができないのに、子どもにそれを期待するのは無理があるのではないでしょうか。
何が怖いのか分からない恐怖
どの職場にも年配の方がいます。彼らに敬意を払うことは大切ですが、それ以上に「嫌われないように」と気を遣うことが多いのではないでしょうか。動物的本能で考えると、例えば殴り合いの喧嘩をすれば勝てると思っているので怖いことはないはずです。しかし、だんだか恐怖を感じてしまう。それは、「陰口を言われて、周りの目が変わるかもしれない」というえもいわれぬ不安があるからではないでしょうか。
私自身もこの恐怖を経験したことがあります。転任初年度、学習支援として教室に入ってもらっていた年配の方がいました。私は自信満々に授業を行い、管理職試験のためにも良い授業を見せようと意気込んでいました。しかし、内心では「支援なんて必要ない」という変なプライドを持っていたのかもしれません。さらに、誰かに見られていることで自分の欠点が露わになるのではないかという不安もありました。
あるとき、授業中に子どもたちが騒ぎ出してしまう場面がありました。その後、職員室にプリントを取りに行った際、その支援員さんが別の年配の支援員さんに「私が原因で子どもたちが騒いでいた」と話しているのを耳にしました。私に気づいていなかったようで、困った人だという口調で話していました。その瞬間、何とも言えない恐怖を感じました。「こんな風に噂されているのか」と。その後、支援員さんがいる授業では萎縮してしまい、準備をしても満足な授業ができない日々が続きました。
このような恐怖感を克服し、支援員さんと協力的な関係を築くには、心理的な壁を乗り越える必要がありました。最終的には、その方と話し合いができるようになり、私の強みを理解してもらえるようになりましたが、その過程は心理的に辛いものでした。
職場での恐怖と学校でのいじめ
このような職場での恐怖は、学校の教室でも同じような形で存在しているのではないでしょうか。今の時代、誰かが意図的にいじめを行うというより、お互いに遠慮し合い、何か問題が起きたとき、その子から距離を置こうとする関係性がいじめとなっているように思います。
いじめられている子も、周りの子も、「誰か、みんなが気を遣っているあの子に一言言ってやってくれないかな」と思っているかもしれません。そう、みんなが「誰か」に期待しているのです。力を持ち、自分を顧みずに注意してくれる誰かを待ち望んでいるのです。そして、その様子を見て、集団全体の流れに合わせる。注意した側に寄り添うのか、された側に寄り添うのか、自分に注意が向かないようにするのです。
職場でも同じ力関係が働いています。誰もがそれを行動に移せない状況で、子どもにだけそれを期待するのは無理があります。これは教育委員会でも同じです。力関係の中で、本当に思っていることが言えないという現実があるのです。
このように考えると、いじめを完全になくすことは非常に難しいと言わざるを得ません。
だからこそ、年齢を重ねたときに、嫌な役を引き受ける、または悪役を演じることで、悪意の流れを自分に向けることが重要だと感じていました。職場をまとめるためには、嫌われ役が必要だからです。
ちなみに、この先生の関係性を子どもたちは敏感に感じ取っています。お局様のようにみんなが萎縮している先生に対しては、子どもたちも周りの力関係をみて、萎縮して言うことをよくききます。そんな学級での子どもたちの様子を感じたことがある先生も多いと思いますよ・・・。