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夢を持つことの大事さを伝えられない
ひっかかってしまう・・・ あの後では・・・
管理職試験で私を推薦しないと断言していた校長が、退職後に公民館長として町のために働き始めました。
この校長が推進していた地域連携活動の一環として、子どもたちは町が運営している海洋大型哺乳類の博物館で学習するという体験活動が行われていました。私もこの体験学習を進めていました。
あるとき、博物館の学芸員さんとの話の中で、彼が少し憤慨している様子が見受けられました。子どもたちが模造紙にまとめた調べ学習の成果が、和歌山県のふるさと学習大賞を受賞したのですが、その内容はネットで検索した情報を写したもので、しかもその情報が正確でないとおっしゃっていたのです。学芸員さんは、「これでは学んだことが生かされていない」と残念がっていました。
私自身も前任校で体験学習を多く行ってきたので、その気持ちはよく分かりました。そこで、私は学芸員さんに、「子どもたちの疑問を大切にし、一緒に学びを深めましょう」と提案しました。子どもたちは疑問から学習を始め、学芸員さんに直接質問し、その回答をまとめるように指導しました。学芸員さんとも事前に相談しながら進めていきました。例えば、「情報を減らして、子どもの疑問を書くスペースを作りましょう」とか、「プリントの中央に感想を書く場所を設け、その後に観察後の説明を行いましょう」など、調べ学習の改善を図ってきたのです。
何より大事にしたのが、ネットの中にある誰のもか分からない情報より、自分たちの体感をしっかりと学芸員さんに伝え、子どもたちの素直な疑問を目の前の生き物とそれを研究している学芸員さんとで紡いでいく学習にしていったことです。
翌年、退職した校長が、この体験活動を何かの会で発表すると聞きました。彼は体験活動の見学に訪れましたが、ただ写真を撮るだけで、現在行っている活動については一切質問がありませんでした。そして発表の際には、退職後に転任した若い教員を呼び、現在の取り組みを無視して、自分たちが行ったことを堂々と発表したようです。このようなやり方には、どうしても納得がいきませんでした。なぜ、今進行している改革に興味を持たないのか。
このように学校では様々な工夫が行われているにもかかわらず、県教育委員会にその実情が伝わることはありませんでした。
こうして、私は管理職試験に落ち続けていくのです。
涙をこぼす50代半ば
50代半ばにして、不合格通知を受け取った私は、それでも翌年の試験に向けて勉強を続けました。ノートに法規を書き写しながら参考書を読み込んでいると、突然、参考書の文字がかすんで見えました。「老眼が進んだのか?」と思った瞬間、参考書にポタポタと水滴が落ちました。最初は何が起きたのか分からずにいましたが、ふと、自分の涙だと気づきました。無意識のうちに泣いていたのです。意識しないのに涙が溢れるのは初めての経験でした。
顔を拭いてノートに目を戻すと、「自分はいったい何をしているのだろう」と急にむなしくなりました。「いつまでこの勉強を繰り返すのだろう」と感じ、情けなくて仕方ありませんでした。
それでも、涙を拭きながら勉強を続けましたが、和歌山県の教育委員会は相変わらず不合格通知を送り続けてきます。
58歳の決意
58歳で再び不合格通知を受け取ったとき、私は教育長に進言しに行きました。
「まだ管理職試験を受けることはできますか?少しでも学校づくりに関わっていきたいのです。この年で受験する人はいないと思いますが、最後に管理職として仕事をしてみたいのです。」
教育長は私の気持ちを理解し、
「わかった。県に聞いてみる。ただ、県がどう答えるかは分からないけど、君が思うようにしなさい。」
と言ってくれました。
こうして、59歳になる春、教育長に呼ばれました。
「県の回答は、『前例がない』というものだった。再度確認しても『前例がない』と言われただけで、実際には『だめ』と言われているのと同じだ。」
この言葉を聞いたとき、私は愕然としました。「もうだめか。あきらめるしかないのか」と思いました。
そんなとき、校長が私を呼び、こう言いました。
「管理職試験について教育長から話を聞きました。でも、先生の気持ち次第です。先生に少しで受けたい気持ちがあるなら、私はいくらでも推薦します。」
私の教育方針は、子どもたちに夢をあきらめないよう伝えるなら、私自身があきらめてはいけないというものです。そこで、最後にもう一度、県の教育委員会に挑戦することを決意しました。
これが本当に最後の挑戦でした。
教育長も校長も、私の気持ちを理解してしっかりと推薦してくれました。
1次試験は通過しました。
それでもなお
最後まであがいて、もし合格したなら、子どもたちに夢をあきらめないことの大切さを実感を持って伝えることができたでしょう。そして、我が子たちにも、父親として背中を見せることができたはずです。
しかし、和歌山県の教育委員会は無情にも不合格を告げてきました。
こうして、私の中で何かが終わったような気がしました。
還暦を迎えて
還暦を迎え、もう何も恐れることなく、つまり、県教委に遠慮することなく、自分の気持ちを率直に書くこととしました。
この文章を、和歌山県の人々は読んでいるのでしょうか。夜になると数人のアクセスがあるようですが…。知ってほしい気持ちと、知られるのが不安な気持ちが混在しています。