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友達関係ってむずかしい

今でもそうだけど明るい人、面白い人(ENFPとか)に憧れてそうなろうとしたことがあった。


絵描いたり本読んだりしたいバリバリのインドア派なのに無理して中学生デビューとして運動部に入ってみた。

そしたら身体的にも精神的にもキツかった!とくに後者が!(でしょうね)


インドア派だからなのか運動自体も得意という訳では無いからみんなの足を引っ張るし、

中学入学したばかりで知らない人しか居ないところで明るい人を演じて疲れて、

明るい人(を演じてる)なのに元々の性格が人見知りするから友達作りが下手いし、

多分皆から好かれてなかったと思う「何でこの人ここに(運動部)にいるんだろう」って思われてたと思う。


結局1週間で運動部をやめて、美術部に入りました。


めちゃめちゃ楽しかったです。平和でした。文化部万歳。

運動が嫌いではないんですけど、月に一回くらいは運動したいなーってくらいです。



やっぱり無理して背伸びせず自分に合っていると感じている方向に行った方が、

精神的ストレスも少ないし、何より居心地がいいと楽しんでやれるから良いなと思った。



そう私は過去の経験から学んだ。はず。なのに。


また、高校生になって無理してスポーツに行ってしまった。

いま現在(2020年12月)私は高校3年生で週に一回、体育を2時間やっています。ばりきつい。

高校三年生になると副教科(美術部か書道かスポーツ)を選ぶことが出来るんですが、

平和に美術を選べばいいものを、経験から学んでいる様で学んでいないのか、

スポーツを選びました。

馬鹿だなあ。

(ちなみに高校での部活動は美術部です。即決でした。)

でも、多分もう大学生になると体育はしないと思うので(挑戦しなければ)

これほど運動することはきっと人生の中でももう無いぞ!

と思ってポジティブに考えてやっています。

そうしないとやっていけないよね。


この間、雪が降っている中でグラウンドでソフト(野球?)をしました。

スポーツを副教科として選択した人は皆、明るいし運動できる(でしょうね)ので、私一人が浮いてる感じですね。

絶対皆「何でこの人スポーツを選んだんだろう」と思っているに違いない。(既視感)



私は一人でいること自体は好きなので全然平気なんですが、

私が一人でいることに対して周りの人から可哀想な目で見られるのが超嫌です

一人で登下校して一人でトイレとか購買に行ったりします。

でもすれ違う人みんな友達と一緒に居るんですよね。

友達も一緒に購買でお昼ご飯を買うのならば一緒に行くのは分かるけど、

友達は弁当を持ってきているのに「着いて来て」って言って一緒に行くのは正直よく分からん。



中学生になって初めて新しい友達から「トイレ行きたいけん着いて来て」って言われて、

「え?1人でトイレも行けないのかなこの子」って超びっくりして疑問に思ったことがあった。

今でも疑問です。

友達によると「寂しいから着いて来て欲しい」そうなんですが、

だからといって

自分一人のただ一瞬の寂しいという感情をなくす為だけに、友達の時間を奪ってわざわざ連れて行く

ということに驚きと疑問が爆発してます。

「なんて奴だ。トイレでこのレベルだと、一緒に遊びに行ったりしたら、一瞬も1人になれないのでは?!」ってめちゃ思いました。

(友達と遊んでいても一人の時間は大事。)


私をトイレに着れて行こうとする友達とはもう仲がいいので、今では「トイレ着いて来て」って言われると「えー、だるいー、他の人と行ってきて」って笑いながら(←ここ大事よね)言ってます。

トイレくらい一人で行きなさい!

って思うんですけどねぇ……




話が逸れ続けていることに気づきながらも突っ走りました。

小論文じゃないからいいんだよ。

でも「友達関係ってむずかしい」っていうタイトルと内容がここまで違ったらもう詐欺だろと思ったので書こうと思っていたことを書きますね。


中学入ったばかりの時、

友達と「友達の基準」について話したことがありました。

友達の基準はみんなそれぞれ違うことを前提に話しました。

ある人は「この8人みんな友達」と言って

ある人は「この6人は友達だけどこの2人とは友達じゃない」と言って

みんな自分の意見をそれぞれ言っていました。

正直自分は「友達の基準」について考えると本当にわからなくて、

自分は何を基準に友達を友達と読んでいるのか、

この人達が友達ならこの人達はただの美術部員なのか、

クラスメイトは友達なのか、

全てがよく分からなくなって、その時は

「この8人は友達だけど友達じゃない」って自分でもよく分からないままよく分からない結論を言ってしまった。

その時はお互い「そうなんだね〜」「仲良くなるのはこれからだねー」って感じで緩くこの会話は終わってしまったんですが、

この「友達の基準」が気がかりで後々また考えてみたんですが全く分かりません。

「この6人は友達だけどこの2人とは友達じゃない」と言っていた友達に「この友達の6人と友達じゃない2人の違いは何?」って聞くと、

「この6人は、自分の為に何かしてくれたり、気にかけてくれた事があるけど、この2人にはそれがない様に感じたから」「自分は、この6人から何か貰っている」と言われて納得する部分があった。

確かに相手から無関心であるとなかなか親しくなれない。

しかし損得のようなものを友人関係に持ち込んでも良いのだろうか、

相手のことはよく分かって共感できるけど、自分のことについて考えると全く分からない。

そもそも基準を設けて周りの人を計って友達か友達ではないか見たことがない気がする。

でも友達には線引きをしている。凄く親しい友人にも線引きはしている。すこし距離を取っている時もある。

友達という広い範囲の中にも仲が良い人とそこまで仲が良い訳でもない人がいる。

同じクラスだけど1度も話したことがない人は友達なのだろうか、

これは何なのだろうか。

そうずっと考えていると、

いつも話していたこの子は友達なのか?、

掃除区域が同じこの子は?、

違うクラスで挨拶だけする人は?、

塾が同じだけど話さない子は?

って考えているうちに病んできて

もしかしたら、

私が勝手にすごく仲のいい友達だと思っていたこの子は私の事が嫌いなのかもしれない、

仕方なく私と一緒にいてくれているのかもしれない、

もしそうならば、

あまり話しかけない方がいいかもしれない、

相手から話しかけられたら返事しよう、

という思考回路になり悪循環に陥りました。

するともちろん、自分から1人になりに行くので友達は減りました。

毎日無表情で学校で滅多に話さず、笑わず、相手の様子を伺って生活するようになってました。

もちろん全然楽しくなかったです。

これが、周りの人(クラスメイトや友達?)とって1番いいことだろう、

誰も私と話したくないし、

視界に入れたくないだろう、

と勝手に信じきって

1年間、石ころのような存在(見ようと思えば目につくが、見ようと思わなければ存在に気づかないし居たとしても気にしない)でいることに務めました。(謎の行動力)

私の人生の中で精神的にこれほど疲れることは無かったです。毎日が地獄のようでした。母には明るく「いってきます!」「今日はこんなことがあった!」と話しても、実際学校では殆ど一人でした。

正直に言うと、「誰も私と話したくないかも」という思考になったのは「友達の基準」について考え過ぎたから、だけではなく

その頃のクラスメイトの殆どの人が明るくて、

教室内がまるで動物園の様で、

そのクラスメイト達が(特に男子)毎日の様に自分達の悪口を言って居たからという理由もあります。


今思うと、結構やばい奴ですね。

【自分から率先して周りの人に嫌われにいっている癖に、「自分はみんなの為に良いことをしてるのに悪口を言ってくるよーうわーん」って泣き出すドラマクイーンで悲劇のヒロインぶっているヤバい奴】


そんな人とは、ただ関わりたくないなぁ(他人事)

そして、1年間の思い出と先程のやばい思考回路はあの1年生の教室に捨ててきました。

2年生では、本来の自分を取り戻して新しい友達もできました。それでも悪口を言われる恐怖から男子が怖くなりました。なので2年生になっても男子とは話せませんでした。

3年生はただただ楽しかったです。クラスメイトみんなが良い人で、クラスメイト全員が友達のように感じる程みんなと打ち解けていました。3年生の頃は言葉の通り、友達に会いに学校に行っていました。男子はまだ怖いけど一言二言話す様になりました。

中学の3年間を軽く振り返りましたが、実は(あの)1年生の頃からずっと友達でいてくれた人が1人いました。すごい。感謝感激!!

その子とは、もう友達ではなくて親友だと思っています。本当にありがとう。

1年生の頃私が友達を減らしたのに、それでも私と居てくれたことは本当に大変な事だっただろうなと思います。

親友に1年生の頃の事を私が謝ると「あー、そうだったんだ。知らんかった」と知らないフリをしてくれているところがまたすごい。

何でそんなにかっこいいんだ。

好きだ。大好きだ。



「友達の基準」とか「友達とは」とか考えてても結果は出ないし、その時その時で変わってくると思うので、考えても無駄だ。


親に「この人は私の友達だ」と紹介したい人を友達だと思っていればいい。

そう思いました。

なんだこのnote、長っ





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