退屈な本論

きっと私は今、人生でいう本論の部分にいるはず。

序論はそれはそれはすさまじかった

他人の口からよく「天才」という言葉がでてきたし、
跳んだり走ったり狙ったところに投げれたり、少しやればなんだってできた
成績はオール5。進学も推薦ですべて通った。

誰もがいう「天才」か、と思えば
破壊的な家族関係で満足できる愛情を与えられず、大波乱の青春期もあり

いいところも悪いところも盛りだくさんの序論であった。

その期待を背負った本論だが、いや、その期待を背負った本論だ・か・ら
こんな退屈になってしまったんだ

序論での期待は、私にとっては全てお荷物でしかなかった。
だからすべて捨てた
一つ残らずすべて。

そしたら捨てたものの代わりに、小さな幸せが浮かび上がってきて、私はそれを一生かけて大切にしたいと心から思った。
何がっても、どんな時でも、必ず。

そういったものがだんだん増えていって、守りたいと思っていたはずなのに
いつの間にかそれらに守られるようになった。
だから私も守り返す。

そうやって私の本論ができていく。
ごめんなさい、やっぱりタイトルは取り消すね。
「退屈を退屈させる私の本論」にしておいて

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