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Subba Factory - Ω

 いまだ生まれいでざるもの、すべての純真無垢な、ほかと区別のつかない無のひとひらに告ぐ−−−人生にご用心。
 いや、魚生というべきか。私は、魚生ならぬ人生に罹ってしまった。人生に罹り、意識を持ってしまった私は、少し群れから外れて水面に上がった。すると、聞き慣れぬ奇妙な鳥の鳴き声が聴こえた。
「プーティーウィッ?」
 揺ら揺らと水面に泳ぎ上がった私の体は、その声に再び目覚めさせられ、群れの方へと戻される。けれども、人生を、生を考え始めた私の、小さい、そんな「無駄なこと」を考える機能が無い筈の脳髄は、体の動きに対して客観性を保持しようとする。水が冷たくなるにつれて、唯無為に食べて来たモノがこの身を保つための肉となって全身を覆い、今日の私の身体が出来上がった。何の為に過剰な程の肉をこの身に湛えたか。我々の生きる目的、交尾のために他ならない。より良い子どもを産む為に、肉を身体に付け、海流で体を鍛え上げた。より良い雌を手に入れるための身体アピールでもある。日々が流れていく中で、常に身体の奥底から低い声が鳴り響く。「より良き子を産め、その為に全力を注げ」と。だからこそ、人生なんて必要が無かった。産まれたこと・死んでいくことを意識する必要は無かった。目の前に現れる食糧を、他の者よりも多く獲る。危険そうな雰囲気は、極力出会う前から排除していく。より良い状態で子どもを作ることが出来る状況へ自分を運んで行くことが「生きる」ことであった。いや、私の中に「生きる」なんて無かった。ただ、在る、のだった。
 だが、私の中にある日、低い声よりも自分の声が大きく響いた。
「なぜ。」

 その低い声は何なのか。私が卵膜を打ち破り、この世界に現れたのは、まだ見もしない子どものためなのか。ならば、私でなくとも今此処に居るのは子どもでもいいのではないか。であるならば、私が私として産まれたことは、なぜなのか。私が私として産まれたからには、私と子どもはなぜ別々のものである必要があったのか。そうした私は何百も何千も何万も何億も続いて行って何になるのか。低い声はなぜ私に命じ、なぜ「なぜ」に打ち消されたのか。
 私の頭は、連なるなぜに埋め尽くされていったが、私の体は、私の居た群れ、群れの居た空間丸ごと、圧縮・上昇して居た。魚でも無い、鳥でも無い何かが、私達を一斉に捕えたようだった。私はこの「なぜ」を抱えたまま、喰われ、消えてしまうのか。なぜ。と思って居ると、再び水の中に落とされた。恐ろしく狭く、海ではなさそうだった。まだ生きて居るようだったが、魚一匹ではどうも打破しようの無い状況だったので、身体を捨てて、私は「なぜ」の中に逃げ込んでしまった。
 身体がどうなったかは知らない。
 次に私が私を意識した時、身体は既にぐしゃぐしゃになっており、とてもでは無いが魚と思えぬ有様だった。でも、「なぜ」の中に逃げ込んだ私は、私の身体がぐしゃぐしゃになっていることを把握出来て居た。
 生き物ではなさそうな、巨大な岩のような何かが、沢山上下する空間に私の身体は在った。
 「ガッタン、ガシャンコ、グワンーーーーーカタッ、ガッタン、ガシャンコ、グワンーーーーーカタッ、ガッタン、ガシャンコ、グワンーーーーーカタッ、」
 私の身体は、凹んだ硬いものの中へ押し込められていて、私の身体の何百倍もある巨大な生き物に見られたり、弄られたりしていた。それが何を意味するかは分からなかったが、少なくとも私は喰われて居るのではないようだった。


 ガッタン、ガシャンコ。
 確かにプレス機は降りた。降りたのだったが、何故か意識がある。「なぜ」と、私と、巨大な生き物と、岩か何かよく分からない硬いモノとは全て混ぜ合わさったのか。おかしいな。頭がグシャグシャになって、考えたり出来る訳は無いのに。90度お辞儀を戻して直立する。我が頰を撫で摩る。ツルツルしている。固い。近くの機械の鉄板部分が鏡の様になっているので、俺は其処に自分を写してみる。
 鉄板を覗いてみると、俺は(私は)鯖缶人間になっていることを発見した。
「プーティーウィッ?」
 聞き慣れぬ鳥の鳴き声が聴こえた。なぜか、耳も無いのに。

               了

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