『青天を衝け』第30回「渋沢栄一の父」(2021年10月10日放送 NHK BSP 18:00-18:45 総合20:00-20:45)
1871(明治4)年は時系列的に言って、新貨条例の制定(1)、廃藩置県断行、岩倉使節団派遣と急速に新国家の基礎が固められていく時期であり、当然、栄一(吉沢亮)も大忙し。ドラマの展開も目まぐるしい。
ドラマのオープニング明け冒頭は、大阪の大蔵省造幣寮(2)(現在の独立行政法人造幣局)で新貨幣が鋳造され、検査がおこなわれているシーン。栄一も大阪に出張している。そこに五代友厚(ディーン・フジオカ)登場。五代は政府に出仕はしていないが、貨幣鋳造機械導入を先導した。その五代に「次はバンクが必要じゃ」というのが伊藤博文(3)。五代はそれに対して「バンクも、美しか紙幣も必要じゃ」と応じる。今回は初回からずっと登場していた徳川慶喜(草彅剛)が消え、オープニングではその場所に五代友厚が入った。五代さんの活躍に期待しよう。
さて、主要諸官衙が東京に置かれたのに対して、この造幣局のみ大阪に設置されたのは水運が発達していて香港経由でイギリス製の造幣機械を持ち込みやすかったからだと言われている。しかし、東京に運び込むのにそう大して違いがなさそうに思われ、やはりリスク回避のためであったのだろう。それはともかく、「新貨条例」で金本位制を採用し、正貨に定められた一円金貨は「立派すぎて」流通はほとんどせず、代わって一円銀貨が実際の取引に用いられ、その後、形式上は「金銀複本位制」、1882(明治15)年に日本銀行券が創設され、1885(明治18)年に日本銀行兌換銀券が発行されると事実上は「銀本位制」になっていく。
造幣寮でのシーンに三井組番頭、三野村利左衛門(イッセー尾形)が登場すると真っ先に「三野村、待っちょったぞ〜」と井上馨(福士誠治)に言わせているのが、ドラマの演出としては大事な点。何しろ井上が三井とべったりの関係であったことは有名な話で、西郷隆盛(博多華丸)は井上を「三井の番頭さん」と呼んで軽蔑していた。三野村が今日は宴席をご用意しておりますと言うと、井上は「よっしゃそれが楽しみに来たんじゃ」ともダメ押しで言わせている。
この三井主催の宴会シーンではのちに栄一の妾となる大内くに(仁村紗和)(4)との出会いと五代の絡み(5)が描かれる。「おはんのおることろはそこでよかとか?」という五代の台詞が今回の肝であった。五代を好きではないと言い切る栄一であったが、全国にカンパニーを作らなければならないという五代のヴィジョンには大いに心動かされる。それもそのはずでちょうどこの頃、栄一は『官版 立会略則』(会社設立方法についての指南書)の発刊を稟議してその裁可を得ている(6)。つまり、五代のヴィジョンはまさに渋沢のそれと一致していたからだ。
太政官での小田原評定。栄一と杉浦譲(志尊淳)は脇で書記を務めている。西郷隆盛の有名な「まだ戦(いくさ)が足りん」の台詞が登場。大蔵大輔・井上馨はそれを廃藩をやれと言っているのだと解いてみせる。要するに廃藩置県断行は革命であり、戦争を覚悟しなくてはならないということ。井上は「廃藩をやる」と栄一に告げる。それを聞いた栄一は藩の発行した藩札や負債をどうするのかと問うのだが、結局、「お前がやれ」ということになってしまう。このシーンの栄一の台詞で重要なのは、藩の負債処理の考え方。古い債務についてはそれを債権者に放棄させ処理し、最近の負債については利付き公債で買い上げるという。この方法はのちの秩禄処分にも活かされていく(栄一はすでに官を辞しているが)。それはともかく、栄一はこの面倒な仕事を引き受け、不眠不休の作業で成し遂げた。そして、7月14日の「廃藩置県」。明治天皇(犬飼直紀)の詔は三条実美(金井勇太)によって読み上げられ、即刻全国の260の藩知事に伝えられ、世界的なニュースにもなった。西郷隆盛は「無事に終わってしまったのぉ」と栄一に向かってつぶやくのであった。
栄一はこの活躍で大蔵大丞に出世。しかし、大久保利通(石丸幹二)は改正掛に難題を投げ掛け、改正掛を廃止してしまう。政敵の大隈重信の力を削ぐためであり、さらに改革を自らの手で先導するため岩倉欧米使節団を建議。岩倉具視(山内圭哉)は乗り気ではなさそうだったが、この年の末に使節団は欧米に向けて出発するのであった。
改正掛が廃止となり意気消沈の栄一が自宅に帰る。足袋のほつれが赤い糸で繕われていることを見つけた千代(橋本愛)の胸には「どなたが繕ったのだろう?」と不安がよぎる……。と、そこに飛び込んで来た父市郎右衛門(小林薫)危篤の報。人力車を飛ばして血洗島に向かう栄一。東京から血洗島までGoogleマップによれば、徒歩で約16時間。浅草の人力車屋さんのページの情報によると人力車のスピードはその倍だそうで、そう考えると約8時間ほど。しかし、何とか間に合った栄一。市郎右衛門は思い残すことは何もない。「お前を誇りに思っている」と……。今日のnoteの画像は栄一晩年の写真から起こされた胸像だが、多分、市郎右衛門もこんな感じだったのかもしれない。ラスト、血洗島の野辺送りのシーン。満開の菜の花畑をバックにした情景はたびたび本作のなかで使われているが、いつ見ても美しい。その野辺送りから戻った栄一は文久元年『藍玉通』を繰りながら父のことを思い出し、「何と美しい生き方だ」と言うのであった。
注)
(1)「是より先、本年四月二日附伊達大蔵卿・大隈参議・井上大蔵少輔等と共に曩[さき]に金貨本位制採用を建議せる滞米中の伊藤大蔵少輔に宛て金貨本位制を採用する旨の回答を発したりしが、是日[5月10日]金貨本位制を規定せる新貨条例並に造幣規則公布せらる。共に栄一の起草立案する所なり。」(渋沢史料館『渋沢栄一詳細年譜』より。[ ]は引用者注)
(2) 造幣局の名前で親しまれているが、1871年当時は「造幣寮」という名称。ナレーションでは「造幣局」と紹介されていたが、「造幣局」への改称は1878(明治10)年。ちなみに今年2021年が創立150周年ということになる。
(3) このときまだ「銀行」の訳語は出来ていない。次回予告編に登場。また伊藤博文は前回渡米の建議を栄一に書いてもらっていたが、それによってアメリカの銀行制度を視察。アメリカ式の National Bank (国法銀行)の制度に倣って分権式の「国立銀行条例」を制定する。
(4) 今年の春、板橋区の赤塚城趾に花見に行った時、近所のご年配のご婦人方が『青天を衝け』の渋沢話をしていて、大内くにさんの話で盛り上がっていた。どうもお宅があの辺りにあったらしい(未確認)。
(5) 栄一は五代に「徳川は鳥羽や伏見で負けたんじゃねぇ。あのパリですでに薩摩に負けていたんだ」と言う。もちろん幕府と薩摩のパリでの情報戦についてはこのドラマでもすでに描かれているが、作家の南條範夫が『幕府パリで戦う』(カッパ・ノベルス、1967年 のち文庫)でエンターティメントして描いていることはこちらに書かせていただいたので是非ご覧ください。
(6)「是より先、五月十日大蔵省改正掛の立案に基き福地源一郎訳述する所の会社弁及び栄一編述する所の立会略則を府県に頒示す可きを太政官に稟議し、是日[6月18日]裁可せらる。」(注1と同じ)
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