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大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」(8)「逆襲の『金々先生』」(2025年2月23日NHK総合20:00-20:45放送)
蔦重(横浜流星)が出した『新吉原細見 籬の花』は大ヒットし、吉原にも客が押し寄せてくる。吉原が繁盛するということは、女郎たちの「性労働」の強度が上がるということ。おそらく女郎たちの実入りになる分はほとんどなく、ひたすら搾取されるのみ。結局、喜ぶのは吉原の忘八どものみである。その吉原も「天下御免」とはいえ、差別される存在。鶴屋喜右衛門(風間俊介)はそうした差別的視点から忘八たちを見下しているのだが、駿河屋市右衛門(高橋克実)に階段から突き落とされる(ドラマでの階段落ちは3度目?)。視聴者はもちろんここで快哉を叫ぶ。しかし、差別の構造自体は1ミリも変わらない。江戸時代とは安定した差別社会で、時々、鬱憤を晴らすように事件が起こるものの、息苦しく、生き辛い社会である。こうした身分制社会=差別社会の構造が変わっていくにはもうちょっと時間が必要であった。
そして、そうした人間社会の“秩序”からもはじき出されているのが、苦界に沈んだ女性たちである。彼女らの運命を考えると本当にいたたまれない。そこは蔦重にも所詮理解しがたい世界である。花魁・瀬川(小芝風花)のことだけではない。生まれたときから「女郎には手を出すな」、つまり彼女らを「商品」「性的奴隷」として扱えということをたたき込まれている蔦重は女心がわからないという意味以上の「ば〜か、ばか、ばか」の「べらぼう」である。瀬川はそれをわかっていても人として蔦重のことが好きだから余計に悲しい。
画像は国文学研究資料館国書データベースより。「金々先生栄花夢」鱗形屋孫兵衛版。
余談:織田作之助先生の小説によれば、ろくろ首という妖怪は、苦界に沈められている女から始まったとのこと。以下参照。瀬川も妖怪シェアハウスなので「ろくろ首」になる?
「ろくろ首いうもんおまっしゃろ。あの、ろくろ首はでんな、なにもお化けでもなんでもあらへんのでっせ。だいたい、このろくろ首いうもんは、苦界に沈められている女から始まったことで、なんせ昔は雇主が強欲で、ろくろく女子おなごに物を食べさしよれへん。虐待しよった。そこで女子は栄養がとれんで困る。そこへもって来て、勤めがえらい。蒼い顔して痩せおとろえてふらふらになりよる。まるでお化けみたいになりよる。それが、夜なかに人の寝静まった頃に蒲団から這いだして行燈の油を嘗めよる。それを、客が見て、ろくろ首や思いよったんや。それも無理のないとこや。なんせ、痩せおとろえひょろひょろの細い首しとるとこへもって来て、大きな髪を結うとりまっしゃろ。寝ぼけた眼で下から見たら、首がするする伸びてるように思うやおまへんか。ところで、なんぜ油を嘗めよったかと言うと、いまもいう節で、虐待されとるから油でも嘗めんことには栄養の取り様よがない。まあ、言うたら、止むに止まれん栄養上の必要や。それに普通の冷たやつやったら嘗めにくいけど行燈の奴は火イで温くめたアるによって、嘗めやすい。と、まあ、こんなわけだす。