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2024年を振り返る(3)

(承前)
7月 今年は猛暑が襲ってくるのが例年になく早かった。日記を読み返すと毎日、毎日、暑い、暑いと。しかし、頑張って8月の台湾での報告準備を進めた。そんな中でとくに勉強になったのが、平井健介『日本統治下の台湾―開発・植民地主義・主体性― 』(名古屋大学出版会、2024年)。経済史の視点からの通史は凃照彦『日本帝国主義下の台湾』(東大出版会、1975)以来だと本書には書かれていたが、そんなに邦語台湾経済史の通史がなかったとは意外である。平井さんの本の書評は沢山出ているが、梅森さんの書評は短いが出色。もう1つ勉強になったのは前田一男「国民精神文化研究所の研究 : 戦時下教学刷新における「精研」の役割・機能について」(『日本の教育史学』25巻、1982年)という国民精神文化研究所に関する論文。こちらは大東文化学院東亜政経科関係で非常に参考になった。

8月 十数年ぶりに板橋花火大会を会場で見物。やはり間近の花火は迫力が違うことを実感。8月8日には恒例の人間ドックを受診。これについては別にまた書くこととして、8月前半はとにかく『大東文化大学百年史 中』の草稿チェックが大変だった。お盆休み返上でかかりきり。
 そんなこんなでオリンピックもあまり見ていなかったのだが、女子マラソンで大東文化大学出身の鈴木優花選手が6位入賞は見事だった。スポーツ関係では阪神の高橋遙人投手が復活したのも8月の嬉しいニュースだった。
 祖父・安川慶一(1902~1979)の仕事が特集された『民藝』(860号、2024年8月号)が出たのも8月だった。2025年は富山民藝館開館50周年ということで準備が進められている。私も祖父の思い出の記を寄稿予定。
 8月最終週は、久しぶりの海外。臺灣中央研究院と日本経済思想史学会との共同で開催された学術会議に出席。報告(「戦時期日本の高等教育機関と台湾—大東文化学院東亜政経科設立事情を中心に」)や司会をおこなった。また中央研究院の南部院區なども見学。実り多い台湾出張であった。画像は、日本統治時代の「松山療養所」所長の官舎をリノベし、オープンした「靜心苑」

9月 メディア史研究会の「研究集会」にzoomで参加。自由論題報告の山本祐麻「日清戦争前後における田口卯吉の「財政革新」論 -『東京経済雑誌』と雑誌『産業』の比較を中心として-」を聞くため。田口と前田の比較は確かに面白い視点だと思う。しかし、なぜか経済史の側面からの質問は私だけだった。私の質問は3つ。(  )内は報告者による回答。①『東京経済雑誌』と『産業』相互で批判はあったのか?(明確に名指しではないが、それと思われる内容はあり)②田口が新領地(臺灣)との貿易促進を説いていたとあるが、具体的に何の貿易を想定していたのか?(不明、ただ両毛地方の利害とはあまり関係ない)③帝国財政革新会では貨幣制度調査会関連の議論はあったのか?(ほぼない。)……自由貿易論者・田口が臺灣についてどのような考えを抱いていたのかについては興味深い。
 「2年ゼミ(専門演習Ⅰ)」では12月の演習成果発表会のテーマが「関東大震災と南米移民(仮)」に決まった。ど直球の経済史テーマで教員にはありがたかった。また今年からエントリーする際に「歴史研究」というジャンルが加わったのも大変良い。後期は急遽ピンチヒッターで引き受けた成蹊大学での講義「日本経済史B」も開始。オンデマンドも4回おこなうことを認めていただいたので、実際の出講回数は10回であった。
 9月28日、シーズン140試合目で阪神タイガースもとうとう降参。連覇の夢はあえなく潰えてしまった。4回の無死三塁で1点しか取れない攻撃は今年の問題点を露呈したシーンだった。去年ならばあそこは一気呵成に逆転していただろう。


 

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