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『鎌倉殿の13人』第12回「亀の前事件」(2022年3月27日放送 NHK BSP 18:00-18:45 総合20:00-20:45)

伊東祐親、祐清親子の最期の様子を八重に伝える義時。「父はなぜ死ななければならなかったのですか」と問う八重。「江間に来てくださいませんか」という義時の誘いに応じる八重ではあったが、鎌倉殿への思いは決して吹っ切れていない。鎌倉殿の「女好きには困ったものだ」(時政のセリフ)が、今回は政子と亀の前の対決事件である。

タイトルバック、ナレーションに続いては鎌倉殿の御前シーン。(阿野)全成との婚儀の許可に礼を言う実衣だが、彼女の狂言回しとしての役どころが面白い。一同が聞きにくいことを無邪気に尋ねるたびに静まってしまうのだが、「私が何か言ったら静まりかえるという決まりでもあるのですか?」には笑った。

都の三善康信が推薦してきた文官3名、大江広元、中原親能、藤原(二階堂)行政が鎌倉に下向。御家人たちに紹介される。これで「鎌倉殿の13人」のうち12名が登場。まとめてくれているのが、こちら。ご参考まで。そして、いよいよ鎌倉殿の嫡男誕生の期待が高まる中で、産養いの儀の役割分担が義時から御家人たちに言い渡される。官房長官が大臣の名前を発表するような感じ。鎌倉殿自身の口からはまず御家人たちのなかで一番面倒くさそうな上総介に蟇目役が頼まれる。続いて本当に一番大事な傅(めのと)役(1)を比企能員に命じる。比企にめのと役が命じられて面白くない態度がありありの上総介を睨む大江広元が怖い。また安産祈願のため鶴ヶ丘八幡に神馬奉納の馬曳き役は義経と重忠にと義時が告げると、あからさまに不満を口にする義経。義経の態度に激怒した頼朝は「この話はここまでじゃ」と言って退出。「あのものたちを束ねるのは骨が折れる」と広元に愚痴る頼朝。一方、すねる義経をなだめるのは義時と政子であった。

出産のために比企の館@鎌倉に移される政子が首に掛けていたものは何? ねづこの竹みたいなやつ。乞うご教示。

さて江間の館には八重が入る。義時は二日に一度は訪ねてくるというのを、八重は月に一度くらいでとやんわり拒絶するのだが、結局、十日に一度と……。観ていて義時が痛すぎる……。そして、万寿(のちの頼家)誕生。上総介も蟇目役を無事に果たしていた。

義時が鎌倉殿の「隠れ家」(=亀の前のための御殿)に呼ばれる。そこでめのと役を比企に命じたことに対して時政が不満に思っていなかったのかを訪ねる頼朝。「ひとつの家に力が集中してはならんのだ」という頼朝であったが、結局、後にはそれが幕府内の権力争いを引き起こすことになる。

八重の館に馬を走らせ、亀の前との関係を尋ねる義時。義時に「鎌倉へ戻ってはいけませんか」「やはりあのお方のおそばにいたいのです」という八重。八重の地雷を踏みまくる義時がやはり痛い。

一方、どうも体が丈夫ではなさそうな万寿。全成は実衣に「親の不徳が子に災いをもたらす」と前置きしつつ、亀の前という側女を囲っていることを告げる。ナイショの話はあっという間に政子の耳にも。「田んぼの蛭」と政子から罵倒される義時は、側女の名前も場所も政子に教えてしまうのであった。

「鎌倉殿が都を真似て側女を囲ったのなら、こちらは後妻(うわなり)打ちで仕返しするのです」と牧の方。牧の方は兄の牧宗親に「ちょっとだけ。形だけ」と言うのだが……。この有名な事件の結末はご存知の通り。九郎義経が関わっていたのは創作である。

大きな歴史ドラマとして重要なのは、頼朝の仕打ちに対して時政が激怒して伊豆に戻ってしまうこととその父に同調しなかった義時という事実の方(詳細は次回)。『史伝北条義時』の山本みなみ氏は「頼朝にも時政にも味方せずして、頼朝の信頼を得るバランス感覚の良さは、彼が政治家としての能力に長けていたことを窺わせる」と述べている。

注)
(1) 乳母は普通は女性だが、貴人の子弟養育にあたった男性一般も〈傅〉の字をあてて,〈めのと〉と呼んだということである。




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