言葉とは感情のジップロックである
感情の賞味期限を伸ばすための方法
感情が体験の意味を決めるのだとして、「なぜ意味を決める必要があるのだろう?」と深堀りしてみます。
それは感情の性質を考えるとよくわかるのですが、感情はとても賞味期限が短いものであるというところが大きな要因だろうと考えています。
感情の移ろいやすさについては、感情の満ち引きを観察するトレーニングを続けているとわかってきますので試してみてください。
例えばぼくの場合、映画をみて感動したなら、その感動が家に帰る頃まで同じ強さで胸を打ち続けることはありません。(個人差はあると思います。)
なので、感動を無限に味わい続けることはできず、一定の賞味期限をもって薄れていくということになります。
ただここで例えば、
「映画館で観る映画は感動が深い」
「あの監督の作品はどれも面白い」
などのように、この体験に”意味”(=言葉)をつけるとどうなるでしょう。
もしかするとまた同じ感情を味わえる様に、その監督の映画を映画館で観るために再度足を運ぶかもしれません。
”意味”化させるのには必要なことは、言葉という名前をつけることです。そして、言葉の最大の機能は『保存』です。つまり賞味期限を遅らせること。
こうして、人は感情を言葉というジップロックに詰めて保存しようとする傾向があるように思います。
映画を見たその日の感情は翌日には薄れていますが、「あの監督の作品は面白い」と言葉にしたらそれは翌日も同じ、「あの監督の作品は面白い」のままです。
そうすることであの体験・感情をできるだけ長く、そして再び味わうことができるようにするために、人は日々言葉にするのだと思います。(それが脳内だけであっても)
言葉単体は、無色透明のジップロックである
この習性には二つの目的があります。
一つ目の目的は、またあの感情を味わえる様に。そしてもう一つは、逆に、もう2度とあの感情を味わいたくないから、という場合。
例えば雪国で育った人が、それまでの人生の中で体験した
雪の中ノーマルタイヤで突っ込んで動けなくなったときの気持ち
氷の上で思いっきり転んで怪我をした時の痛み
母親が滑って骨折し、人工骨盤になったときの気持ち
を、「雪や氷は危険なものである」という意味のジップロックに保存してきたような場合、当然雪の少ない都会に出てきても、子どもには雪が降ったら「危ないから滑らないように気をつけてね」と言うでしょう。
でもその体験を知らない子どもは、雪=遊び、なので、何度も転びながら登校するかもしれません。
このように、同じ感情を伴った体験をしていないのに、言葉だけで何かを伝えるということは本来難しいことです。だからこそ言葉は通じても分かり合えないことがあるのも当然なのだと思います。
「感情」の賞味期限を「言葉」のジップロックで保存してきたとしたなら、今自分が握りしめている価値観の一つ一つをゆっくり開封してみると、そこにはきっと、
・もう一度味わいたかったあの感情
・もう二度と味わいたくないあの感情
のどちらかが、あるのではないでしょうか。
だとすると「言葉」のジップロックはただの無色透明なジップロックで、それは他のものでも良かったのかもしれない、と考えることもできます。
そう考えることで、いま握りしめて放せない自分の前提や思い込みについても薄めていくことができるではないでしょうか。
自分が今握りしめて離せない価値観などをノートに書き出してみて、それらは『どんな体験』の『どんな感情』を保存したジップロックなんだろう?と、そのルーツを辿ってみると面白いかもしれませんね。
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