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「疲れた」とただひとこと言えますか?

「怒りっぽい人」という決めつけ

思考力についての個人差は「能力差」と考えますよね。そして思考力はある程度磨く事ができると考えるのが普通だと思います。

これに対して、感情はどうでしょう?感情を取り扱うことについての得手不得手は、「能力」としては認識されていないような気がします。例えば、「怒りっぽい人」というような言われ方をするのは、感情とは性格に近いものとして認識されているからだと思うのです。

ぼくは、感情を取り扱う力には個人差があるものの、生得的な個人差だけではなく後天的に生じる個人差が大きいと考えています。

そしてぼく自身の経験を通して、感情を取り扱う力は運動や料理同様、磨いていける『スキル』だと考えるようになりました。

感情をスキルとして捉える」(以降、感情の取り扱いスキルのことを『感情スキル』と呼びます。)という認知の仕方はあまり一般的では無く、だからこそこの考え方をクレープのように広げていきたいと思う今日この頃です( ^∀^)。

感情に支配されていたぼく、そうでない奥さん

今回は、ぼく自身が感情スキルの個人差に気づいたエピソードを一つお話ししましょう。

昨日はおとといの夜更かしの疲れと、1日息子くんと遊んでた疲れで、夜8時くらいには寝ました。とってもよく寝ました。ですが昔はこの、「よく寝る」ができなかった。一体なぜできなかったんでしょう。

過去を振り返るとそれは、「疲れてる」「疲労感」という自分の感情を無視して、他の感情、例えば「明日までにやらないといけない仕事をうまくできるか?」という不安の感情に時間と自分の選択権を奪われていただからと思うのです。

そんな不安に主導権を奪われがちなぼくとは異なり、子供が産まれてからというもの、毎日すぐに寝るようになった奥さんを見て、「なぜ奥さんはすぐに寝られるんだろう?」と疑問に思いました。

息子くんは5歳になりますが、彼が生まれてからの奥さんの平均就寝時間は、おそらく9時前後だと思います。

早い時は大体8時に子どもと一緒に布団に入ってそのまま朝。遅い時は一回8時に子どもと一緒に布団に入って子どもが寝たら、一回自分は起きて、録りためたドラマを倍速で片っ端から見るなどして、10時くらいに寝る。なので、平均9時くらいには寝ている。

そこで、早く寝るようになった理由について奥さんに聞いてみると、理由はシンプルに、「朝起きた時に、疲れてるのが嫌だから。」とのことでした。

奥さんは疲れるのが嫌だからという自分の意に沿った行動をし、対して、ぼくは疲れているのに不安という感情の支配下で夜ふかしをして、翌日疲労感を感じてイライラしてしまう。この差に気づいたことが自分の感情スキルを改善したいと思ったひとつのキッカケです。

それからというもの、ぼくは自分が疲れているのに夜更かししたり、やらなければいけないこと、よりもむしろ、やらなければいけないと自分に思わせている自分の感情(ここでいうと不安)に、自分がコントロールされて右往左往していること、を、「無駄だな」、「効率が悪いな」、と考えるようになりました。

「疲れたら早く寝る」をしてみたら

以後、ちょっと不安なことがあっても、「疲れたらできるだけ早く布団に入る!」ように心がけ、実際にそうしています。

例えば、セミナー開催前はピリピリしたりもするのですが、だからこそなるべく早く寝るようにしています。だって試験勉強と同じように、前日や直前にいくら焦っても、結果は特に変わらないからです。

夜更かしして疲労感を感じたまま本番に臨むことのほうがパフォーマンスを著しく下げるということは、以前から頭ではなんとなくわかっていましたが、実際に試してみると「圧倒的に正しい!」と実感したんですね。

この圧倒的正しさを阻むくらい、ぼくは不安という感情に支配されていたんだなとも思います。

以前は「早く寝る」以前に、「疲れた」とただひとこと言うことすら、できなかった。本当に本当に言えなかったんです。「疲れた」ということすらできないけど、疲れているから、ピリピリして子どもに八つ当たりしてしまう。でも彼はなぜ自分が怒られているかわからない。奥さんや周りの人もおなじです。

八つ当たりであっても本人がそれを自覚できていないと、周りはそれを指摘することができません。そうしてだんだん家族の雰囲気が悪くなるというのが我が家のお決まりのパターンでした。。

でもぼくが「疲れている」と最初から認識できていると、こうはならない。もし仮に子どもに八つ当たりしてしまったとしても、「あーーー!!ごめん!!パパちょっと疲れててイライラして怒っちゃったよ!!」と、後から謝る事ができるようになったのです。

ほとんどの人は「疲れている」を認識できない

実は、「疲れている」というのはほとんどの疲れている人が認識できていないのではないかと思います。ぼくがそうだったように。

それは他のより強い感情の方に脳が意識を奪われており、濃い味のものに味覚が反応するのと同じように、強い感情に疲労感がかき消されてしまっているのではないでしょうか。

そんな皆さんにぼくがお勧めしたい「疲れている」と認識するための方法。それは、

なんとなく疲労感を感じたらすぐに「疲れた」と声に出して呟いてみる。

です。

これはぼくの中ではめちゃくちゃ効果がありました!以前は無意識に、「疲れても疲れたと言えない」自分だったので、すべてのことに対して、「疲れるようなことしたくない」っていう発想になってしまっていました。

それが極端にいうと「子どもと過ごす1日」への悪いイメージにもなっていたように思います。別に子どもが嫌いなわけじゃないのに、です。

ですが、「疲れた時に疲れたと言える自分」になったことで、「疲れたら休めばいいじゃん!」「疲れるかどうかより面白そうと思ったことやってみればいいじゃん!」と、思えるようになったんですね。

みなさんは、疲れた時にただ一言「疲れた」ということができますか?ぜひ「疲れた」と声に出して呟く、から始めてみてください。これは簡単なようで実際簡単ですし、しかも続けるほど効果がある方法だと思います。

ぜひ今日から試してみていただけると嬉しいです。( ^ω^ )

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