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#0_Munekoについて_2

自己紹介の続き。今回はほぼ余談です。
私がそれほどまでに在留外国人のサポートに熱意を持ったきっかけは何か?ということを少し。

2003年冬、ひとりベトナムへ。

遡るのは2003年1月、アジアではSARSというやっかいなウィルスが流行り始めていた頃。卒業論文でベトナムを取り上げて書くという名目で、ベトナム首都ハノイへ渡航した私。頼れるひとはベトナム語の先生に紹介いただいた学生(といってもだいぶ年上の女性だった)ただひとり。ベトナムどころか海外で生活するのははじめての私。右も左もわからず、毎日カルチャーギャップにさらされ過ごすことになりました。

初ベトナム滞在で感じたコミュニケーションのコスト

例えば、授業初日にまず自分の家から学校への道がわからない😂 でも周りの人にきけない(ベトナム語が聴き取れない)私は考えたあげく、たった50mくらいの道のりをバイクタクシー捕まえて苦笑されたりしました。
そんなエピソードにはじまって2ヶ月あまりベトナム語に浸り、ベトナム文化の洗礼を受け、おそらく右か左かはわかるくらいになったころ日本に戻ってきました。(ちなみにSARSの流行で予定よりも滞在期間を短縮😂)

当時私にとって頼りになるのは前述の日本人女性とベトナム人の大家さん(事情がありあまりコミュニケーションはとれなかった)、ベトナム語の先生だけ。2ヶ月の間で現地で交流した人は両手の指に収まる数。そこで感じたのはこれまでに留学生はたくさんいたはず。なのになぜ蜘蛛の糸をたどるようにして、ひとづてに情報を得なければならないのか!?どこか情報が集まるところはないのか!?ということ。
おもえばベトナム人の友達もあまりできなかったなぁ…でもそれくらい毎日の生活にアジャストすることに必死だったのです。

他国での2度めの原体験

その数年後にタイで数ヶ月過ごした経験もまた同じようなもので、これは日本にいる外国人は同じくらい、もしくはもっと厚い壁があるのでは!?と感じたことがきっかけです。

そして日本にいる外国人にインタビューするとやはり同じような声が多い。私だけではなかった、という思いと、日本語や日本のカルチャーがなおさらその困難を増幅させている様子に疑問が確信に変わったのです。
もし「ここにいけば生活についてたいていの情報が手に入る」というような場所が近くにあれば、日本に来て最初の数ヶ月の慣れるスピードが早くなるのでは?私が在留外国人のサポートできる場所を用意することで、彼らの受けられる時間的な恩恵・経済的インパクトはそれなりに大きいものではないか、と考え事業のアイディア(というほどでもないけど)に至ります。

2023年は「魂を込めたサービス」をつくる

と言いつつもう2023年になってしまいました。2月22日で創業まる2年を迎えたけれども、まだまだ場所を設けるには遠い道のりです。
でも、来年あたり自分の住む街に何かしらの場所をつくりたいなあ〜と思っていて、そのために、今年は確固たる土台をつくりたい!!!
2023年の私のテーマは「込」。手を込め、心を込め、魂を込めてサービスをつくりたい。

これを読んだみなさんも、私のコメコメプロジェクト(←今考えた)心のなかで応援してくださると嬉しいです〜〜

それではまた!!

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