
日本人の国民性② あるべき論を語り合って欲しい
日本人の国民性①で日本には「あるべき論」がないことの問題を指摘しました。以下に示す「あるべき論は有害」という見方があることも承知の上での持論です。
【有害】「あるべき論」はなぜ嫌われる?部下や上司に嫌われないために | 識学総研 (shikigaku.jp)
なぜ「あるべき論」は嫌われるのか?
「あるべき論」は嫌われる。
だが、なぜ嫌われるのだろう。
その本質が、このミーティングで明らかになったように私は感じた。
一つには、「あるべき」という言葉がもつ強制力だ。
理想を指し示す場合、とくに皆に理想に向かって大きな努力を要求する場合は、皆にその理由も併せて示し、丁寧に説得を試みる必要がある。
ところが「あるべき論」では、その理由が丁寧に説明されることは少ない。
「高い目標を持つべき」
「顧客第一であるべき」
「成長を志向すべき」
と、「正論」が主張されるが、往々にして、建前とメンツが優先し、実態を伴うことがない意思決定が行われる。
ゆえに、「べき論」は有害なのだ。
もう一つは、「あるべき」という言葉が、強い価値観の表明になっており、疑問をはさむことが許されない雰囲気を生むからだ。
特に責任者が「あるべき」と言い出せば、メンバーにそれ以外の選択肢はない。
「べき」とおっしゃいますが、なぜ「べき」なのですか?
と聞けるメンバーは、まずいない。
前述した会社のように半ばみなあきらめて、「分かりました」というだけだ。
「上意下達」が主となる組織、あるいは建前と面子が重要な組織では、「あるべき論」が跋扈する。
しかしそれは、往々にして、幹部とメンバーの利害関係の相反を生み、成果を追及する意欲を失わせる。
ゆえに「べき論」は、ここでも有害だ。
<引用終了>
有益諭と有害諭、もちろん両論あってよいことです。しかしながら、特に上下関係が生じている場合にはパターナリズム(弱い立場にある者の意志に反して、弱い立場の者の利益になるという理由から、本人の意志は問わずに介入・干渉・支援すること。パターナリズム - Wikipedia)に陥る可能性は低くないと思われます。
さらに、です。日常使用しない言葉で申し訳ありませんが演えき法と帰納法 演繹法と帰納法の違いとは?考え方や鍛え方をご紹介 | ソリューションサイト (lmi.ne.jp) を考えた時、どうしても日本人は前例や経験から思想、つまり帰納法的になりやすくなると考えてしまうのは私だけではないでしょう。
日本人同士があるべき論を意識して論じ合うことにより、多様な民族や多様な思想を持った人たちなどとの良好な人間関係やコミュニケーションができるようになると私は思います。
私にはパターナリズム、演繹法・帰納法を常に意識しながら会話することはできないと思いますが、次世代を担う人たちにはぜひこれらを意識し、あるべき論を語り合って欲しいと願って止みません。