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私が死んだら 孤独感から解放される

10月7日の毎日新聞記事 孤立死 「死ぬことだけは管理する あとはご自由に」という社会 | | 石田光規 | 毎日新聞「政治プレミア」 (mainichi.jp) を読み「思ったこと」を書きます。

何が言いたいか、それは映画『タイタニック』のラストシーンのように、死後「愛」のある世界に迎えられると良いなということです。

今、私が死んだら契約している福祉サポート業界の法人に連絡が行き、遺体が引き取られ、日にちを置かず火葬され、遺骨は箱に入れられ納骨堂に収められます。

コンピュータや家電、衣服などはすべて処分され何も残りません。それだけのことです。

有名な「ソクラテス三段論法」を思い出してください。

大前提:人間は(必ず)死ぬ
症前提:ソクラテスは人間である
結論 :故にソクラテスは(必ず)死ぬ

人間は必ず死ぬのですから、死後のことなど考えず、生きている今を人間としていかに生きるかを考えた方が孤独を実感している私にとって幸せであると思っています。もちろん、死後裁かれますが。

大山泰幸氏によると幸せ4つあるそうです。 愛されること、褒められること、人の役に立つこと、必要とされること。
人間の究極の幸せは4つあるそうです | エモーショナルマネジメント株式会社 (emotional-m.co.jp)

私がnoteや本を書いているのも「誰かの役に立ちたい」、それだけの理由です。

さて、ここまで私のことについて記してきましたが、孤独、孤立について参考になると思う引用文を紹介します。

もう一つの「さびしさ」ですが、人は誰しも居場所と出番を求めると言うことです。自分は不要な存在ではないか。孤立状態にある人、若者の多くがそんな存在の不安を抱えています。自分が必要とされ、認められる。何よりも褒めてもらえる。それを求めるのは、決して悪いことではない。いや、人は独りでは生きてはいけないと言う理由そのものです。人は他者との関わりで生きる意味を見出すことが出来る。しかし、その他者に恵まれない、そんな時、心にすきま風が吹いているそんな時、国家から「君が必要だ」と言われたなら揺らいでしまう。「お国のお役に立てる」と若者が戦場に自分の存在意義を見出すのは、とても不幸なことだと思います。国家があるべき他者に成り代わり一定の価値軸となる時、私たちは大きな幻想の中に生きることになります。かつての日本がそうであったように。
だから、経済的困窮の解消と共に社会的孤立をいかにして解消するのかが、抱樸 NPO法人抱樸(ほうぼく)の希望のまちプロジェクト|NPO法人 抱樸(ほうぼく) (note.com) の活動の原点です。それは「人を戦場に向かわせない」ための取り組みだと思います。この意味で抱樸の活動は、「平和のための活動」だと考えています。「貧しさ」とどう闘うか。同時に「さびしさ」とどう向き合うか。人は人と一緒に生きていく中で「お互いの存在」をなくてはならないものとして行くのだと思います。ウクライナで現在進行している悲劇が一日も早く終わること、平和が訪れることを祈念しています。
<引用終了>
3/13巻頭言「貧しさとさびしさの果てに」 | 東八幡キリスト教会 (higashiyahata.info) 2022年

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