3.11と東北旅を振り返る(後編)
笹谷峠を越え、仙台、塩釜、松島、石巻と進む。
それから、北西に進路を変え、一関、平泉へ。
平泉で出会った同業者、元気にしてるかなあ、、
この間の旅の模様も書きたいところだが、、いずれまた。。
あ、仙台の「梅鉢」ってゲストハウス、オススメですよー。
そして、平泉からは東進し、陸前高田市を目指す。
内陸部から山がちな道をひたすら漕いでいく。
しばらくすると、途中の建物がほとんどプレハブであることに気づいた。
いや、まだ海は遠いはずなのに、、
さらに進んでいくと、一面の更地。
本当に何もない、ただの更地が広がっているだけの光景。
奇跡の一本松。
そして、海沿いの国道45号線を北上。
漕ぎながら、心が締め付けられるような気持ちになっていた。
見渡す限りの更地と、震災遺構と化した建物と、わずかばかりのプレハブのみ。。
とにかく茶色の更地ばかり、、、
陸前高田を北上し、大船渡市に向かう。
目的は、盛駅から三陸鉄道に乗るため。
サイクルトレインという、車両に自転車をそのまま載せられる便に乗るべく、急いで山道を漕いでいく。
リアス式海岸はアップダウンがキツイ。。
写真はなかったが、途中のお土産屋さん?みたいなところで休憩していたら、店主のおじさんが水をくれた。
それから、震災のことについて話してくれた。
津波と同じ高さで砂煙も上がっていて怖かったこと。
陸前高田市の庁舎の屋上ギリギリまで津波が押し寄せてきたこと。
実際体験された方の話だから、とてもリアリティがあり、凄みがあった。
もっと聞きたかったが、サイクルトレインに間に合うために行かなければならなかったのが悔やまれる。
そして盛駅に到着。
ちょうど自転車を停めているあたりで、おじさんが「どこから来たの!?」と気さくに話しかけてきた。
しばし歓談をしたのちに、彼に言われた言葉が今でも忘れられない。
「大学はどこなの?」
「〇〇〇〇です。」
「おーいいとこ行ってるねえ~!」
「そんな君に聞きたいんだけど、どうすればここに若い人が来るようになるかなあ?」
「どうすれば、こんな堤防だらけのところに若い人が来てくれるようになるかなあ。教えてくれよ。。」
答えられなかった自分が今でも悔しい。
一応経済を学んでいるのに、、
正直、あの景色を見てしまうと、どうしようもないと思ってしまった。
ただただ、無力感を味わった。。
インフラや建物といったハード面の被害に対する復興は進んでおり、この旅から3年たった今はさらに進んでいるだろう。
しかし、精神的なダメージはどうなのだろう、と私は思った。
一度生でその景色を見ただけの私があれだけ愕然とし、無力さを思い知らされたのだ。
被災者は如何ばかりかと、、
復興はまだ終わっていないとはよく聞く言葉だが、復興が終わる日はくるのだろうか。
建物やインフラは治っても、心のダメージは治るのだろうか。
いつか被災地に活気が戻る日が来るのか。
いまだにわからない。
この旅ののち、私はゼミで地方移住推進をテーマに卒業論文を書いた。
地方移住についての知識や方法論はある程度私は持ち合わせているつもりではいるが、
それでも、あの時のおじさんの問いに今でも答えられない。
この記事を読んでくださっている方はこの問いにどのように答えますか?
ぜひコメントいただけると嬉しいです。
書いているうちに最後のほう着地点が分からなくなった感がありますが、ここで終わりにしましょう。
それでは
おそまつ