【11日目】レコードを回す、セーターを編む(ジンセイのトリセツ)
◆おならがクサい! という『経験』ができるのはなぜか
前回も難しくて、人によっては衝撃的だったのではないでしょうか。要は
という話だったんです。これはいわゆる「運命」……たとえば「将来結婚する相手と赤い糸でなんちゃら」とか「いつか死ぬ運命にある生き物がなんちゃら」とかいう『生ぬるい運命論』ではなく、もっともっと、ずっとずっと厳密な「人生史」「ジンセイのシナリオ」のようなものです。
もうね、本当に「何時何分何秒、誰がどの場所でどの方角におならを出す」のレベルで、正確に決まっているんです。それが「あなたの顔の前」だったりすることまで、です。あなたは多分「クサい」ですよね……それが『経験』=【個別のドラマ】なんです。そのイヤな体験は、「何時何分何秒」に「誰」が「どの場所」で「どの方角」に「おならをする」かあなたが『知らない』から、できるんです。
◆「音楽が聞きたいから、レコードを回す」ということ
こういう『構造』を例えるのに、丁度いいものがあります。それは
です。見たことありますか?
アナログレコードというのは、黒くて丸い板に音楽が記録されているものです。CDが普及する前は、カセットテープと並んで音楽を聞くための主流なデバイスでした。今でも愛好家やDJの人が使っているものです。
あれは円に沿ってうずまき状にミゾがあって、そのミゾに「ものすごく細かいギザギザ」が彫ってあって、そのギザギザの上に針を乗せて回転させることで、針の振動を音に変換する仕組みなんですよね。
僕らのすることは、レコードプレイヤーの針をレコード盤に乗せて回転スイッチを押すことです(大昔は手回しだったそうです)。そうすると音楽が鳴り出すわけです。
さて……僕たちがどうして「レコードプレイヤーの針をレコード盤の上に乗せて回転させる」という行動を取るのか?
それは「音楽を聞く」ためです。当たり前ですよね。
逆に考えると、僕たちがいくら「レコード盤」を手に持って眺めてみても、音楽は流れ出さないんです……ですよね?
でもね……レコード盤にはやっぱり「すでにミゾが彫ってある」んです。そしてそのミゾには、その音楽の『すべての音』がすでに記録されているんです。
僕たちはその「ミゾ」を眺めることはできるんですが、いくらミゾをジロジロ見つめたとしても…
をすることはできません。どれだけ「すでに音がすべて記録されている」状態だったとしても、です。
だからわざわざ、プレイヤーに乗せてスイッチを押すわけでしょ?
僕たちが「すでに全部が決まっている【個別のドラマ】を『体験』するために生まれてきている」というのは、まさにこれと同じなんです。つまり、実際に地獄に生まれてきて、生きてみないと
んです。
◆人生は【関わりの網目】の連続体だ
こういう構造である「すでに決まっている一生の予定」というものを
というのが、この世界の「時間」というものの姿なんです。あなたがさっきぶち殺したコバエも、その瞬間にあなたに叩き潰される「予定」で生まれてきていたということなんです。ちょっと信じがたいかもしれませんが……。
考えてみれば、この【地獄】を支配する【大いなる矛盾】という恐ろしいルール(食う食われる)というのは、実は
という性質を持っています。もしこの【大いなる矛盾】がなかったら、生まれたあとも一人で引きこもって人生を終わらせることができるはずですが、このルールのおかげで僕たちは幸か不幸か「他者を殺して食う」という行動を必ず取らないといけないわけです。
こういった強制的な関係性が複雑に絡まり合って「生き物同士の【個別のドラマ】」というものはできています。それこそ、まるでセーターの編み目一つ一つがジンセイのドラマであるかのように、僕たちの【個別のドラマ】の中の印象的な部分というのは「自分以外のなにか」との
によってできているんです。ジンセイはその連続体なんです。
こういう概念を
と呼んでいます。あらゆる個別のドラマはこの【関わりの網目】の積み重ねでできています。あなたのものもそうです。それこそ「何時何分何秒、どこでどのコバエをぶち殺すのか」という「決まっている予定」も【関わりの網目】の一つです。
こういう【関わりの網目】の構造が、宇宙誕生から宇宙の終わりまでず~~~~~~~~~~~~~~っと連なっているんです。僕たちのジンセイというのは、そういう構造をした
のいち部分なんですね。
というわけで、次回からはついに「時間論」に入ります。もっと難しくなります……覚悟してね!
「ニンゲンのトリセツ」著者、リリジャス・クリエイター。京都でちまちま生きているぶよんぶよんのオジサンです。新作の原稿を転載中、長編小説連載中。みんなの投げ銭まってるぜ!(笑)