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【2日目】ロメオとジュリエットに学ぶ「恋の正体」(レンアイのトリセツ)

◆恋の気持ちと「メカニズム」

 前回の最後に
「恋はアタマでコントロールできない」
と書きましたね。そういう経験あるでしょ?

 古くはシェイクスピアの『ロメオとジュリエット』にも出てくるテーマです。禁断の恋、なんてものもあるんですよね……人間は賢い生き物のはず、なのになぜそんなことになるんでしょう?

 それは前回書いたとおり、

 A(カラダ)……生殖に適した相手
  ↓
 C(ココロ)……恋の気持ち

このメカニズムで気持ち(感情)が出るからです。普通はこの間に

 B(アタマ)

があるんですけど、恋に関してだけは、例外的にアタマをすっ飛ばして気持ちが出てくるんです。

 街で会ったら殺し合いが始まるくらい仲の悪い家がらのロメオとジュリエットは、それと知っていて恋に「落ちる」んですね。恋は盲目、と言いますけど、恋の始まりというのは先ほどの仕組みなので

アタマが「ごちゃごちゃ考える余地」がそもそも無い

ということなんです。

 やがて恋に「落ちた」ロメオとジュリエット、二人がその後どうするかというと、さすがに白昼堂々デートできないので(戦争になってしまいます)、夜中にこっそり逢い引き(デート)するんです。

 これはアタマが「恋してるのがバレたらまずい」と【考えて】いるからで、考えているのはもちろん

「アタマ」

です。

 以上をまとめると、普段の僕達は

 カラダ
  ↓
 アタマ
  ↓
 ココロ

の順番で感情を出して自分をコントロールしていますが、恋だけは

 カラダ
  ↓
 ココロ
  ↓
 アタマ

となるんです。この二つの違い……分かりますか?


◆『命令系統の逆転』が僕たちを狂わせる

 さっきの二つ、どこが違っているかというと……最後の「アタマ」と「ココロ」が入れ替わってますよね? 実は、これこそが恋にまつわるアレコレの『根本原因』みたいなものなんです。

 この「アタマ」「ココロ」が入れ替わる現象を僕は

「命令系統の逆転」

と呼んでいます。普段、人間はABC理論の

 A(出来事)=カラダが見聞きしたこと、体験
  ↓
 B(信念)=アタマにある【無意識の習慣】
  ↓
 C(結果)=ココロに起こった感情

という順番で感情を出して行動しますが、恋の時だけは最後の2つが入れ替わって

 A(出来事)=好きな人がいる
  ↓
 C(結果)=好き好き!(恋の気持ち)
  ↓
 B(信念)=どうやって求愛しよう?

となっちゃうんです。これが「命令系統の逆転」という現象のメカニズムです。

 つまり、先に「気持ちありき」だから、恋がうまくいかないと『悶えるような苦しみ』になるんですね。
 ロメオとジュリエットも、どうやって恋心を成就させるかにとても悩んで苦しんで、とうとう最後には非業の死を遂げてしまいます……恋の気持ちとは、それほどまで強烈に僕たち人間を突き動かす、激しい気持ちなんですよね。


◆激しい「恋の衝動」の根底にあるものとは

 このように恋というのは、とても激しい衝動です。ご経験がある方も多いと思うのですが、好きな人ができてしまったら、ココロから気持ちがはち切れんばかりにあふれ出して、居ても立ってもいられなくなるものです。
 こんなに激しい感情というのはなかなかないものだと思います……怒りや恐怖のような極端な感情よりも、ときに恋は激しく僕たちを揺らします。場合によっては、ロメオとジュリエットの二人みたいに、誰かを死に追いやるような恋もあるのです。

 では、どうしてこの「恋の気持ち」はこんなに「激しい」のでしょうか?

 その理由は、今回の一番最初に書いたこと

 A(カラダ)……生殖に適した相手

これが全ての根底です。

 これは要するに、もうものすごく平たく言ってしまうと

【 恋 = 性欲 】

なんです……なんというか、身も蓋もないですね……。

 とはいえ、人間は『生き物』です。そしてすべての生き物に「子孫を残しなさい」という本能がプログラムされています。結局のところ、恋の気持ちというものはこの「プログラム」によって出て来るんです。


◆恋という「本能」と社会とのギャップ

 考えてみたら、この『恋』という「本能からくる気持ち」のおかげで、僕たちはこうしてこの世に生きているんです。この何よりも激しい衝動があるからこそ、僕たちの先祖は誰かとカラダの関係を持って、子孫を増やしてきたわけなんですからね。

 ところが……他の生物ならそれで終わる話なのですが、ひるがえって人間には

「社会」

というものがあります。この社会を壊さないように生きていくために、恋した相手なら誰とでも好き勝手していいというわけにはいかないんですよね。

 これが恋にまつわるアレコレを引き起こすんです。

 こういう「社会でパートナー選びをする」という過程で、相手が望みどおりにならなかったり、自分の望みを他人が叶えてしまったり、そもそもパートナーが見つからなかったりと、様々な「悲劇」「喜劇」が生まれるんです。

 シェイクスピアなんて、実に400年前の人なんですよ……人類はずっとずっと、この「恋」というものに振り回されてきたんですね。

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「ニンゲンのトリセツ」著者、リリジャス・クリエイター。京都でちまちま生きているぶよんぶよんのオジサンです。新作の原稿を転載中、長編小説連載中。みんなの投げ銭まってるぜ!(笑)