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【15日目】他者と『一人ぼっちの世界』(ジンセイのトリセツ)

◆登場人物であり、主人公でもある『他者』

 『運命』というものがどういうものか……それは時間という強制的な流れに沿って進む『シナリオ』のようなものだ、という話をしたところで、今回から『他者』というものの話をします。なぜなら、あなたの人生の「登場人物」であるこの『他者』というものが『何』なのか? という知識が、あなたの人生にとってとても重要だからです。この『他者』がいないことには、どんな【個別のドラマ】も起こり得ません。僕達の人生というものは

【関わりの網目(あみめ)】

だったですよね?
 実はこれまで難解な『時間の構造』という話をとくとくとやってきたのは、この『他者』というものの本質に迫るためでもあったんです。なぜならこういう【関わりの網目】という構造を理解しないと、他者がなぜ存在するのか? を理解することができないからなんです。

 僕たちの人生で起こる【個別のドラマ】は、その順番から時刻まで全てが『すでに用意されている』状態である、というのが『モト』から見た時間の構造だったはずです。そしてそういう『人生』を、登場人物の全員が背負っている、という構造でもあるんでした。
 これらたくさんの『人生』、もっと言うと『ニャン生』『ワン生』『クワクワ生』……その他すべての生物の『一生』もおのおのの【関わりの網目】に組み込まれています。
 そしてその関わりの大部分が【大いなる矛盾】を根拠にした関係性です(食うか食われるか)。

 考えてみたら、人間以外の生き物は社会なんてほとんど作らないので、三大欲求(食欲・性欲・睡眠欲)を満たすためだけに一生のほとんどを費やしています。モトの動きでいうと、これらを満たすと『モトが増える』=安心するんです。
 では人間はどうかというと、他の生き物と違って『人間どうし』で複雑な関係性を持ちます。そしてその中でさまざまな【個別のドラマ】を体験し、そしてモトを増減させて色々な気持ち(感情)を起こします(入門編参照)。

 社会が豊かになるにつれて、こういったドラマティックな経験も急速に豊かになっていきました。ほんの100年くらい前までは、原因不明の病に怯えながら、生活に必要な動作(家事や仕事)だけをやり続けて中年くらいで命を落としていた人類も、豊かな現代社会では多くの人が『ヒマ』を感じられる余裕を持てるようになりました。
 こうしてようやく僕たちは『他人って何だろう』なんて考えられるようになったわけです。

 ではこの『他者』とは何でしょう? どういうメカニズムで『いる』んでしょう


◆おじさんが女子高生に転生!?

 まず大前提として、僕たちは

「他者」になれない

という『地獄のルール』に縛られています。ほら、じゃんけんができる世界、という話をしたとき紹介した

①自分以外の個体が考えていること・感じていることを知覚できない

という『ルール』があるんでしたね。だからここは地獄なんだと。
 このルールがあるおかげで、僕たちは他の肉体にタマシイのようなものを移して、その人物として生きていくことができないようになっています。

 フィクションの世界では
「もやしっ子が勇者に転生!?」
「おじさんが女子高生に転生!?」
なんてものがたくさんありますが、こういうフィクションがあるのは『どうやってもできない』から、ですよね。
 つまりです、僕たちは仕組み上

『自分』をやめることが絶対にできない

んです。文字通り、死んでもやめられないんです。死後も自分は自分なんです。
(そのへんは天国に戻るとちょっと変わるみたいですが、結局「同じ時代で自分じゃない人生を歩み直そう」とはならないみたいです。理由は天国に戻ると自分が「なぜ『自分』として生まれようと決めたか」を『思い出す』からです。)


◆社会は【一人ぼっちの世界】の集合体だ

 要するに僕らは全員「自分自身」という『牢獄』に『囚われている』んです……地獄ですね。

 こういう構造をした「ジンセイ」というものが、人の数だけあるんです。僕はこういう地獄の構造を

【一人ぼっちの世界】

と呼んでいます。僕たちはみんな、一人ぼっちなんです。社会という場所はそういう【一人ぼっちの世界】の集合体なんです。
 だからこそ、人どうしで『モトあつめ』をしようとするんですね。じっとしていると、モトが減って寂しくなるからです(初級編参照)。


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日南本倶生(みゅんひはうぜん)
「ニンゲンのトリセツ」著者、リリジャス・クリエイター。京都でちまちま生きているぶよんぶよんのオジサンです。新作の原稿を転載中、長編小説連載中。みんなの投げ銭まってるぜ!(笑)