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【23日目】対決!オカネあつめとモトあつめ(オカネのトリセツ)

◆オカネは勝手に増えない

 では早速、オカネの「劣っている点」一つ目

「オカネは勝手に増えない」

について考えます。

 オカネというものは(ほとんどの場合)勝手に増えません。朝目が覚めたら、お財布の中身が急に倍になっていた!!! なんて経験、ないでしょ?(あったらめちゃくちゃ嬉しいですけど、それは多分家族の誰か、もしくはサンタクロースがあなたのために入れてくれてたんだと思います……)
 そもそも「貨幣」は物体なので、急に「増加」しません。あれは一つ一つ、誰かが工場で作らないと増えません。

 では金融資産はどうなの? と思うでしょうね。でもあれも「勝手に増えている」わけではありません。タンス預金に金利はつかないでしょ? 金融機関に預けたオカネというものは、だれかが「運用して増やしている」から「増える」ことがあるんです。

◆モトは「自分で生み出すことができる」

 一方でモトはどうでしょうか。

 僕らは普段の生活で、誰かと「モトのやり取り」をしていることを今までずっと書いてきましたが、大抵の場合はなんとなく「一番目のモトあつめ」をついやってしまうんでしたね。
 【モト】というココロを形作る「ツブツブ」は『個数』という【量】を持っています。この「ツブツブの個数」を人間同士でやり取りしているんでした。やり方は「相手の気を引くと、こちらに入ってくる」でしたね。これが「一番目のモトあつめ」です。

 これは単純に「やり取り」なので、片方が増えた分、片方が減らします。こういう「一方が増えると、一方が減る」という状態を

『ゼロサムゲーム』

と呼びます。「一番目のモトあつめ」や「オカネ」はゼロサムゲームです。

 ですが、ココロのモトを増やす手段は「一番目」だけではなかったですよね……モトというものは『二番目のモトあつめ』を使って、自分のココロが生み出すことがあるんでした。

 ココロについている【好き嫌いゲージ】を「好き」側に動かすことができたら(つまり、好きなことをしている、好きなものを愛でている、そんなとき)、ココロは「モトのジェネレーター」となって、空間にどんどんモトを生み出していくんでしたね。
(どうしてこんなフシギなことが起こるのか……というのにも理由と原理があります。詳しくはエキスパート編で)

 だから、モトというものは『ゼロサムゲーム』だけではないんです。二番目のモトあつめを行うことで結果的に元より増えるので『プラスサムゲーム』というものになるんです。

 例外的にオカネでも『プラスサムゲーム』になることが、たまにあります。けれども、それは相当「知恵」を絞って、実務をやって「価値」を生み出して、関わった人全員が得をして初めて『プラスサム』になるんです。二番目のモトあつめよりずっと大変なんです。モトは一人でも『二番目のモトあつめ』で増やせますし、二人以上ならもっともっと増やせます(コンサートの話や、恋愛の話を思い出してください)。

 この「増やしやすさ」では、圧倒的にモトに分があります。やり方さえ知ってしまえば、自分ひとりでも増やせるのは『モト』ならではです。オカネは「やり取り」で増やすしかないので、そうはいきませんもんね……。

◆オカネを集めても『幸せになれる』とは限らない

 ではオカネの「劣っている点」二つ目

「オカネをたくさん集めても『幸せになれる』とは限らない」

という話です。

 こういうテーマの話はちまたにゴロゴロありますよね。お金持ちになって、愛する家族とバラバラになって、やっぱりオカネなんて……!! なんていうストーリーです。

 こんな話がゴロゴロあるということは、裏を返せば「僕たちはお金持ちになったら『幸せ』になれる」と思っている、ということです。だから「本当はそんなことないんだよ」というストーリーがハートフルなものとして成立するのです。
 読者の中にはドラマよろしく「オカネなんて要らないよ!」という人もいるでしょうけど、それでもオカネがゼロになったら困りますよね? しかも思いっきり困りますよね……オカネとは「必要なもの」でもあるんです。ゼロだと生きていけません。

 では、どのくらいあればいいのでしょうか?

 有名な研究で「オカネと幸福度」を調べたものがありまして、現代の日本人の場合は、個人年収で800万円、世帯年収では1600万円までは、年収のアップと幸福度のアップが比例するんだそうです。オカネが増えれば、その分幸せな感覚が増える、ということです。
 ですが……さきほどの金額を境いに「幸福度のアップ」が緩やかになる、つまり「入ってくるオカネの量ほど、幸せ感がアップしなくなる」んだそうです。
(橘玲著『幸福の「資本」論』より)

 僕ら庶民にとって「個人年収800万円」というのは結構ハードルが高く感じられるかもしれませんが、日本人の14人に一人くらいはこの水準の収入・資産で暮らしているそうです。30人学級だと、クラスに二人はお金持ちの子がいる、という計算になります……これなら割と実感できるんじゃないですか? つまり、ある程度の人数は実際にいる、ということです。

 こういう人たちは、よほどオカネの使い方がヘタでない限り「オカネに困る」という経験をほぼしなくて済むようです。つまり、日々のオカネに関する心配事がほとんどない状態……いいかえると「安心」だということです。

 この「安心感」というのは【好き嫌いゲージ】が高止まりしていることを表しています。半分より上の状態をキープしている、ということです。ここまで行けば、「幸せになれる」という目標は、ある程度達成されるんでしょうね。

◆モトを集めると幸せを感じる、という『機能』

 問題はその先です。これだけオカネがあったら、もう一生ずっと幸せでいられるのでしょうか?

 考えてみると、世の中には「オカネとは関係ない幸・不幸」があります。最も極端なものを出すと「死んでしまうこと」です。

 確かに、お金があると手厚い医療が受けられる分、死んでしまうことはある程度避けられます。ですが、老いや病い、そして両親が自分より先に旅立つこと……こういうことには「いくらオカネや権力があってもあがらえない」ものです。

 平安時代、権力の頂点に登りつめた藤原道長公は、いまわの際にはカラダを仏像に縛り付け「何としても極楽に連れて行って下さい」と強く願ったそうで、そしてそのまま亡くなったと伝えられています……その後、彼は極楽へ行けたのでしょうか。
(行けているはずです。人間が死んだあとどうなるかは上級編でお話しします)

 この「人はいつか死ぬ」という考えは、本当に「死ぬ瞬間」までつきまとう「不幸」の一つです。これをオカネで消し去ることはできないのです。

 一方で「モト」です。
 モトは「量が増えると好き嫌いゲージが上がる」という性質を持っていましたよね。ココロのモトが増えると『好き嫌いゲージ』の針が上がって「幸せ」な気持ちになれます。これは『ココロの機能』の話なので、例外はありません。

 つまりです。モトは「集めると幸せを感じることができる」という

『仕様』

であることになります。ここがオカネとの大きな違いです。幸せ感に「ダイレクト」なんです。

 オカネをたくさん持っていると、好き嫌いゲージが安定しやすいと先ほど書きました。それはそうなんですが、オカネとは関係ない不幸もある、ということも書きました。
 こういうときでも「モトがいつでもココロにたくさんある」状態だとダメージが少なくて済みますし、減ったモトを別の方法で取り返すことでポジティブな心の状態に戻しやすくなります。

 つまり、オカネを集めてそれで間接的にモトを増やすより、直接モトを増やしたほうがココロが安定しやすい、と言えるわけです。

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 こういうふうに、オカネというものはモトに対して「明らかに劣っている」ところがあるわけです。この二つは同じように人と人の間でやり取りされているものではあるのですが、モトのほうが「幸せな気持ちになる」ために集める、という観点で考えると「優れている」ということがはっきりしています。

 ではその『劣化コピー』とどう付き合えばいいのでしょうか? その結論を考えていくために、次回には面白い「実験」を用意しています。


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「ニンゲンのトリセツ」著者、リリジャス・クリエイター。京都でちまちま生きているぶよんぶよんのオジサンです。新作の原稿を転載中、長編小説連載中。みんなの投げ銭まってるぜ!(笑)