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巻頭付録・【モトの話①:入門編】の内容(カンジョウのトリセツ)

◆『モト』とは何か?

・『モト』とはココロの材料にあたるツブツブ(粒子)である。

・ココロというものには「モトの集まり」という『実態』がある。

・モトには個数があるので「ココロには【量】がある」と言える。

・モトには「注目すると、そちらに飛んでいく」という性質がある。

・ココロという器官は、モトの量が減るとネガティブな、増えるとポジティブな「気持ち」(=感情)を出す機能を持っている。

◆『モトあつめ』とは何か?

・モトは二つの方法で「増やせる」。能動的にモトを増やすことを『モトあつめ』という。

・一つ目のモトあつめ……他者に注目される(他者から奪う)。

・二つ目のモトあつめ……自分のココロで生み出す。

・人は常に『モトあつめ』をしようとしている。あなたも、あなたの目の前の相手もそうである。大抵の場合は『一つ目のモトあつめ』(奪うモトあつめ)をする。カンタンだからである。

・モトは「消滅する」こともある。何かに注目したとき、対象に受け取られなかったモトは、この世から消えてなくなる(仕組みはエキスパート編で)。

・一人でいると寂しくなるのは、モトがどんどん「消滅」しているから。だから人はモトあつめをしたくなる。

◆『好き嫌いゲージ』について

・ココロは「自身のモトの量」を、常に『好き嫌いゲージ』で測っている。

・好き嫌いゲージの「針の動き」と「針の指す位置」によって、ココロは感情を出す。

・喜び……針が半分より「好き」側に上がっている
・悲しみ……針が半分より「嫌い」側に下がっている
・嫌悪感……カラダが得た情報により針が「嫌い」側に下がった
・怒り……針が素早く「嫌い」側に動いた
・恐怖……針が「嫌い」側ギリギリまで下がっている
・驚き……針が急に「どちらか」の方向に動いた

・感情というのは結局、モトあつめのために【ココロが出す命令】である。

◆『三つのパーツ』について

・感情はココロから出るが、思考は『アタマ』から出る。

・人間は『三つのパーツ』からできている。ココロ・カラダ・アタマである。

・感情が出てくるまでには、カラダ→アタマ→ココロという『情報の流れ』がある。

・『ABC理論』という心理学のテクニックを応用して、これを上手に説明できる。

  A(Activative event)=出来事
  B(Belief)=信念
  C(Consequence)=結果(感情)

・『ABC理論』を使うと、僕たちの感情をうまくコントロールするには『アタマ』が重要であると分かる。

・逆に、ココロを意思で直接コントロールすることはできないことも分かる。アタマとココロは「別の器官」だからである。

・この区別かつかないため、僕たちは「アタマこそが私である、カラダとココロはそのしもべである」という『大いなる勘違い』をしてしまう。

・「アタマとココロのケンカ」である『大いなる勘違い』に気づけば、自分自身への悩みの大部分は解決する。

・アタマにある「信念」には、自分自身で気づいていないことがある。それを紐解く鍵は「習慣」である。

◆モトと『世界の本当の姿』

・カラダというものは、この世界で動作や存在をするだけでなく、モトだけでできている世界の『境い目』として機能している。

・モトは実は「素粒子」である。素粒子とはこの世界の最小単位である粒子。

・すべての物体は素粒子であるモトの集まりであるし、僕たちのココロもまたモトの集まりである。だから「境い目」なんか本当はない。

・この「境い目のない世界」で、「私」と「私でないなにか」を分けている『境い目』がカラダである。

・だから、僕たちは本当は「自分とはどこまでか」を自分で決めていい世界にいる。これに気づくことができれば、世界の見方が変わるかもしれない。

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日南本倶生(みゅんひはうぜん)
「ニンゲンのトリセツ」著者、リリジャス・クリエイター。京都でちまちま生きているぶよんぶよんのオジサンです。新作の原稿を転載中、長編小説連載中。みんなの投げ銭まってるぜ!(笑)