【7日目】「誰も知らない世界」とじゃんけん(ジンセイのトリセツ)
◆いちばん大事なことを「誰も知らない」世界
【6日目】のとおり、モトという概念を通すと「死んだらそれで終わり」ではないことがはっきり分かります。死後に僕たちが一般的に「霊体」と言われているような状態になることは、ココロがモトでできていると考えると「至極当たり前」のことであると言えます。僕たちは死んだら全員、一旦は幽霊になる、ということです。
そして前回の最後にさらっと書きましたが、僕たちは
んです。なぜ地獄にいるのか、なぜ死ぬのか、なぜ死んだら天国に行くのか、そういう「命にまつわるいっさいがっさい」を、です。
そうなんですよ、「誰も知らない」んです。僕たちが「どうして生まれてくるのか」「どうして死ぬまで生きなければならないのか」というめちゃくちゃ大事なことを、です。
これも【地獄】のシステムです。だいたい70億人も人間がいるのに、一人もそれを知っている人がいない、なんて不自然だと思いませんか?絶対「わざと」そうなっているはずですよね。
どうしてそんな大事なことを「知らない」システムになっているのか?
それは実は
なんです……!!
◆じゃんけんは「なぜ」できるのか
なんて書くと「ふざけんな!」とお叱りを受けそうですが、僕はこの例えをよく使います。僕たちが「知らない」ことになっているこのシステムが「なぜあるのか」というと、「じゃんけんができるから」というのが一番わかりやすいと思っています。
ところで、じゃんけん、やったことありますか?
日本なら多分全員が「ある」と答えると思います。じゃ、じゃんけんって、なんで「できる」んだと思いますか? 考えたことあります?
その答えはこうです。
……考えてみたら「当たり前」なんですけど、ここにさっきの「知らない」というシステムが集約されています。
この【地獄】世界には、こういう決まり事があります。
この①と②は、先ほどのじゃんけんが「できる」理由に直結しているんです。この地獄には「絶対に知ることができないこと」があるんです(ごくたまに「特別な力」のある人がいますけど、まれな例外ですよね)。
◆じゃんけんができない世界の「つまらなさ」
では、なんでこんなめんどくさい「システム」なんてもんがあるのかというと……そう
からだと考えられます。先ほどの①②という「ルール」がないと、僕たちはじゃんけんができないんです。
じゃんけんができないと……つまらないでしょ??
ちょっと「じゃんけんができない世界」を想像してみて下さい。じゃんけんをする「前」に、自分が勝つか負けるか「知っている」んです。それに、じゃんけんをしたとき相手が何を出す予定かも「知っている」んです。それでジャンケンポン! で「面白い」か? という話なんです。
もちろん日常生活もみんなそういう調子なんです。明日上司に聞かされる「イヤなお小言」も知っているし、上司がどうしてそんな「小言」を言ってくるのかも分かっているし、その後に腹いせで食べるスイーツの種類も分かっているし、そのスイーツを食べたときの食感や味も、すでに体験しているかのように分かっているんです。
もしこんな世界だったとしたら、僕たちは
んです。どんな体験も「一度見たことある映画」になってしまうからです。新鮮な体験、という感覚が皆無になるんです。
だから「わざわざ」じゃんけんができるよう
というルールがある、と考えられます……人生がツラいと感じている人にとっては厄介なルールだと思いますが……。
◆「発見」という喜びは「忘却」のおかげ
冒頭に書いたような「誰も知らない」状態も、これに由来します。僕たちはなんにも知らない状態だから、この世界にあるもの……物理学や地質学や心理学や生物学や語学……そういったものを「発見」できるんです。知っていたら「発見」できませんからね。
そして今、僕が「モト」を発見しました! この発見でこれを読んでくださっているみなさんの【個別のドラマ】がもうちょっとラクになったらいいな、と思っています。