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【11日目】「偶然」は存在できない(セカイのトリセツ)

◆宇宙のケツと段取り

 では前回の続きです。宇宙には「終わりの時刻」というものがあって、ビッグバンでスタートした僕たちの「表側の宇宙」は、その「終わりの時刻」に向かって時間を進めている、という話になりました。

 これをあえて下品な言い方にすると……宇宙の時間・歴史というものは

ケツが決まっている

んです。

 宇宙の時間に「ケツが決まっている」場合、何が考えられるか?

 わかりやすくするために、僕たちが何か予定を立てて行動するときのことを考えてみましょう。たとえば朝8時には家を出ないといけないとなっていると……
 10分前には荷物をチェックしたい、それまでに20分かかる身支度を整えたい(7:30〜)。だったらその前に朝食を済ませたいし、コーヒーも飲みたいから30分は見ておいて……
 じゃ「7時に起きる」か。これで「8時に出発」できるな……
……という計画ができるわけです。

 このように「ケツが決まっている」と、その「ケツ」にあわせて

段取り

をしますよね。

 上級編で「僕たちの人生には予定がある」という話を何度かしました。実はこれは「宇宙のケツが決まっている」ことに由来しています。ケツが決まっているから、ケツに向けて宇宙全体の「予定が立ててある」はずで、当然その中にある「僕たちの人生」も予定通りなんです


◆SFみたいな話と僕たちとの関わり

 衝撃的な話ばかり続いていますね。まるでSF小説のようです。ですから読者の皆さんの中にはここまでの話を読んで
「それが私の生活にどう関係しているの?」
なんていう感想をもっていらっしゃる方もおられるでしょう。

 ですが……上級編で書いたような

  • 未来はすでにある

  • 僕たちの人生には精密な『予定表』がある

  • 人生は予定通り進む

  • 人生で起こることに『偶然』はひとつもない

といったことと、今話しているような「宇宙の話」はとても密接に関係しているんです。なぜなら前回書いたとおり

『宇宙』の時間というものは「終わる形」が決まっている

からなんです。宇宙に終わりがあって、その時何が起こるかが決まっているんです……ということは

「その時までにどんなことが、どんな順番で起こっていないといけないか」が決まっている

ということでもあるんです。そうでないと、宇宙は「終わりの形」になれませんからね。

 ここで、先ほどの「朝の段取り」の例えが出てくるわけです。宇宙の歴史というものもああいうふうに、予定されている未来から過去に向かって逆向きに「組み立てて」あるはずなんです。

 上級編で書いた「宇宙と時間の関係」の例え話を繰り返しますが、宇宙の時間というものは

  • バラバラの積み木がある

  • お城の形の完成図がある

こういう状態でスタートするものなんです。
 こういう状態で、バラバラの積み木をお城の形にするためには、最後に置く積み木は三角でないといけないし、その三角を積むためには下に四角の積み木がないといけないし、その下には土台の大きな積み木がいるし、その周りには塀がいるし……宇宙に「決まった終わりの形」があるのならば、こういうふうに「終わりの形」から逆算する要領で「歴史」が編纂(へんさん)されていると考えられるのです。

 そこで、です。前回書いたように、宇宙の「終わりの形」とは『すべてが【有】のモトで埋め尽くされた状態』です。現在そうなるように時間というものが流れている最中なんです。
 だからここまでを踏まえると、上級編で書いたとおり、宇宙の時間(始まりから終わりまで)で起こること全てが順番通りに起こって、最終的に宇宙のケツが来る、という形に

「予定」が組んである

ことになります。すなわち、僕たちにとって「未来」にあたる時間で起こることもすべて「予定」としてすでに存在しているはずだ、ということが言えます。


◆宇宙とあなたと【関わりの網目】

 そしてその「宇宙の予定」の中に

「あなたが生まれる、という事件」

があり、その先にあなたの人生があって、そしてやがて

「あなたが死ぬ、という事件」

が起こることが仕組まれている、ということになっているはずなんです。そうでないと、宇宙は予定通りの「最後の時刻」にたどり着けないんですから。

 だから、あなたが今を生きているから、宇宙というものは存続できるんです……なんてことも、言えてしまうわけです。そして事実、そのとおりなんです。もちろんあなただけでなく、今を生きている生き物、全てがそうなんです……そうでないと「宇宙が困る」んです。

 ところで、上級編で

【関わりの網目】

という話をしました。覚えていますか? この【関わりの網目】というのは

「僕たちの人生には予定があるが、その他の生き物全てにも予定があって、それぞれの「予定」の中でいつ誰にどんなかたちで出会うか、そしてそこで何をするか、それがすでに決まっている状態」

ほどの意味でした。それらの「他者との関係性」を網目のようにたぐりながら、時間は未来へ進んでいくんですよ、という話でしたね。この【関わりの網目】という概念は、この『モトの話』の中核をなす大事な概念です。

 さて、先ほどの理屈で「未来が終わりまで決まっている」ということは、この【関わりの網目】というものは、

未来が「終わる」ところまですでに編み方が決まっている

ということでもあるんです。ほら、セーターを編むときって「最後にどんな形になるのか」が決まっていて、その形に合わせて「編み目」を『数えながら』作っていきますよね。
 今、僕たちはセーターを編むように、毎日毎日を「予定通り」すごしています。そしてその予定通りに「いつか終わる日」が来ます。そういう『ジンセイ』がいくつもいくつも……宇宙の終わりまでずっとつながっているんです。上級編でも「関わりの網目の連鎖が宇宙の歴史だ」と書きましたね。それはこういう構造であることを意味していたんです。


◆偶然という現象は「存在できない」

 最終的に、こんなふうに時間軸というものが
「宇宙が始まるときから最後まで、全部予定されている」
ものであるとするなら、僕たちのジンセイも同様に
「人生が始まるときから最後まで、全部予定されている」
ことになる、という結論が導き出されます。

 ですから前に話したとおり、人生で起こることは全部あらかじめ決まっているし、人生で出会う人、出会う生き物、出会う場所や時間というものについても

「この宇宙で偶然起こることは一つもない」

という結論になります。モトから考えられる宇宙というもの、時間軸というものの構造上、歴史の上で「偶然」起こることが存在することは、不可能なんです。

 ……ね? 宇宙の話は、僕たちの人生に直結してるでしょ?
 とはいえ、これはかなり難しい理屈なのかもしれません……上級編では『未来はすでにある』という「結論」だけお話ししましたが、エキスパート編ですから「そう言える理由」すべてをお話ししています。


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日南本倶生(みゅんひはうぜん)
「ニンゲンのトリセツ」著者、リリジャス・クリエイター。京都でちまちま生きているぶよんぶよんのオジサンです。新作の原稿を転載中、長編小説連載中。みんなの投げ銭まってるぜ!(笑)