【13日目】宇宙と生命、共通の『目的』(セカイのトリセツ)
◆宇宙の話から「生命」の話へ
癒やさない! だから【解かる】スピリチュアル理論『モトの話』と題して、僕たちの人生とは何か?という話を、宇宙全体の構造の話にまで拡大して解釈するという新しい試みをしています。
さて……前回までで「宇宙全体の時間と空間の構造とモトの関係」という話は一通り終わりました。前にも書いたけれど、これを知ってどうするの? と思っている方も多いと思うんです。でもやっぱり
僕たちが今生きているのはなぜか?
なぜ僕たちは『生き物』なのか?
という『モトの話』をするためには、時間や空間の『基礎的な構造』という知識が要るんですよ。だって、ジンセイというものを考えるにあたって、絶対に避けられない『現実』『事実』のひとつとして
というものがあって、今起こっている真っ最中である現象『ジンセイ』というものの正体は結局この
「自分たちが『生き物』である必然性はどこにあるのか?」
ということに集約されるからなのです。そしてそれをきちんと明かすためには「自分たちが『生きている状態』になれる、この『セカイ』とはどういう何なのか?」という基礎中の基礎の知識が必要不可欠だ、ということなんです。
ではその「必要な知識」である宇宙全体の『基礎的な構造』が分かったところで(分かりましたよね……?)新しい話をしましょう。今度はズバリ、「生き物」が宇宙に「存在する」意味についてです。
命とは、何でしょうか? なぜ「ある」のでしょうか?
◆オカルト現象が起こる原理
エキスパート編でここまで書いてきたことから分かるように、僕たちの住んでいる宇宙全体が
のです。モトは素粒子なんです。そしてこの「素粒子モト」が、【有】【無】のどちらかの状態で、ギッチギチにすき間なく詰まっているのが宇宙空間という場所なんでしたね。入門編【19日目】でも
「あなたとコップの間に「境い目」なんてない」
という説明をしました。あれはこういう構造を意味していたんです。
そしてこのモトがたくさん【有】の状態になっている座標らへんに「物質」というものは存在しています。
物質には「質量」というものがあります。この「質量」というのは「空間における『かさ』(嵩)」という意味で、物理学によるとこの「かさ」がある分の空間を押しのけているため、重さが発生する、という仕組みがあるそうです。ですから「質量」≒「重さ」ということになるんだそうです。
ですがモトという粒子そのものは非常に小さいので、集まって物質を形作って、そして質量を持つためにはいくつも集まらないといけないものだと考えています(モト粒子ひとつぶでは「質量」を「もてない」のです)。ですから
「モトが集まっていても「質量」を持つまでに至らない【量】」
という状態があると考えられます。
(くわしい説明は省きますが、現在確認されている素粒子が「質量」を持つためには「ヒッグス粒子」による「ヒッグス場」というものが必要なんだそうです。この「ヒッグス場」がない素粒子は「存在しているのに質量を持てない」ということだそうです)
これがどういう意味を持つのかというと……。
世の中には「目には見えないけど、たしかに「ある」もの」というものがあります。人間のココロもその一つですし、あと、この世界で死を迎えた生き物の肉体からペリペリとはがれ出てきた後の【三つのパーツ】……すなわち肉体を持たないカラダ・ココロ・アタマの集合体、いわゆる「幽霊」のようなもの(上級編【6日目】参照)も、目で見ることはできません。
そういった「あるけれど見えない」ものも
と考えるとつじつまが合います。目に見えないものは「存在しない」のだ、では説明できない現象というのは、たくさんあるのです。
こういった「何か」というものはおそらく、磁気テープやフロッピーディスクのように「モトの配列」によって「情報体」のような形で存在できるのだと考えていますが、そこは確認のしようがないのであくまで予想です。
あとこれは個人的な見解なんですけど……こういうものが「見える」能力のある人がたまにいらっしゃいますよね? ああいう方の能力というのは「脳の視覚野に、存在を感知した『見えない存在』を直接映し出して見える化する能力」なのではないかと思っています。もちろん確証はありませんが……筆者は霊感ゼロです。
ともかく……ではなぜこういう「物質でない存在」のひとつである、
というものがこの宇宙にあるのでしょうか。
◆宇宙の目的とココロの目的は『同じ』だ
そこで「宇宙のケツ」という話をしたときに書いた「宇宙の終わりの姿」というのがどうだったか、ちょっと思い出してください。宇宙の終わりの姿というのは
でした。宇宙は「こうなりたくて」存在して時間を流しているわけです。
このとき、実際にすべてのモトを【有】にするにはどうしたらいいか? というと、裏側に引っ込んでいて【無】の状態になっているモトを、何らかの方法で【有】の状態に変えてやらないといけないことになりますよね。
ここに実は「生命というものが存在する理由」が隠されているんです。そのヒントは「二番目のモトあつめ」です。
入門編から上級編までをたっぷり使って書いてきたので、この「二番目のモトあつめ」という現象が「確かにある」ということは、おわかりいただけたのではないかと思います。何度も書いていますが、これは
「ココロが喜んでいる(モトをたっぷり持っている)ときに、自分がジェネレーター(発生装置)になって、その場のモトの量をさらに増やす」
現象です。今だから書けますが、この『モトの量』というのは、当然
という意味です。モト粒子そのものは空間の特定座標に固定されていて、増減しません。
僕たちが大好きな【愛】という状態(中級編【10日目】)も、この「【有】のモトの量」に由来するんです。【無】の状態のモトがいくらあっても、愛の状態になることはできません。
僕たちにとって、愛の状態をふくむ「幸せな状態」というのは「いいもの」ですよね。だから僕たち全員がこの「幸せな状態」になろうと一生懸命に今を生きています。モトの話うんぬんは置いておいても、この点だけは間違いないと思うのです。
これは言いかえれば、モトの話という観点からは「僕たちは常にモトあつめをしたがっている状態だ」と言えます。一番目・二番目問わずです。
さてここで、次の二つの事柄がリンクするんです。
宇宙はすべてのモトを【有】にしたい
ココロはモトあつめがしたい=モトを【有】にしたい
宇宙がモトによる「構造」を持ったものであるとすると、これら二つが「偶然、たまたま同じ」であるはずがありません。絶対に、二つは何らかの
を持っているから、同じになっているはずだと考えられます。
……おっと、長くなってきたので続きは次回です。お楽しみに。
「ニンゲンのトリセツ」著者、リリジャス・クリエイター。京都でちまちま生きているぶよんぶよんのオジサンです。新作の原稿を転載中、長編小説連載中。みんなの投げ銭まってるぜ!(笑)