2-5:モトをもらう・モトを奪う(人生はなぜ辛いのか?と思った時に読む『モト』の話)
2-5:モトをもらう・モトを奪う
与え合う「モトあつめ」
まず分かりやすいのは、楽しい気持ちになっている時です。
誰かと楽しい時間を過ごすのはとても幸せなことです。暖かい午後のひとときに、美味しいお茶をすすりながら、なんでもない話に花を咲かせるような、そんな場合です。
こんなとき、モトがどう動いているのかをちょっと見てみましょう。
会話というものは、話す人、聞く人が交互に交代することによって成り立ちます。こういうときは、もちろん話す人に、聞く人が注目しています。
聞く人は、話す人に「注目している」ので、そちらに向かってココロが持っているモトを「放出」します。
そして、「注目されている」側である話し手は、そのモトをココロで直接受けとります。
前述の通り、ココロというのは「薄いモトの集合体」です。それ同士が、自身の材料であるモトを放出したり、受け取ったりしているわけです。
話し手はモトを「受け取っている」ので、ココロのモトの量が増えていきます。だから、楽しく話をしている時って、いい気持ちになっていくんですね。
では逆に、話を聞いている側はどうかというと、モトの量を減らしているわけですから、本当なら好き嫌いゲージが下がってしまうはずです。
ですけど・・・お互いが楽しくなるような話をしているときは、聞いている側のモトも増えていってたりします。
ほら、モトは「自分で増やす」こともできるんでしたね(第一章参照)。この辺については後で詳しく書いていきますが、そんな仕組みで「モトを減らしても不快にならない」から、楽しい会話が続いていくわけです。
それに、会話というのは、話し手と聞き手が交互に変わるものです。ですので、相手に渡したモトはすぐに返ってくるんです。楽しく会話をしているときは、増えたモトを相手に渡して、また相手からモトが返ってきて、が繰り返されているんですね。だから、お互いに幸せな気持ちになれるんです。二人ともココロのモトの量を増やしているからです。
奪い取る「モトあつめ」
さて、いつでもこんな風に幸せなやり取りができればいいんですけど、人生には他者と関わることで「不愉快な気持ち」になることも多々あるものです。その時のモトの動きも、ここで見てみましょう。
例えば、会社で上司に怒鳴られている部下の気持ちを想像してみてください。怒られている内容は、自分のミスではない理不尽なとばっちりです。
そのとき、その部下はたぶん「幸せな気持ち」ではないんじゃないか思うのですが、どうでしょう? むしろ、その反対である「大変な不快感」を抱いているんじゃないかと思います。感情としては、怒りであったり、恐怖であったり、なげやりな諦めであったり、様々な形をとっていると思います。
こんなときは、怒鳴っている側の上司が、部下から一方的にモトを吸い取っています。吸われる側の部下は、ただ一方的に吸われるだけなので、ココロの持っているモトがぐんぐん減っています。
モトがぐんぐん減ると、当然「好き嫌いゲージ」が下がります。モトが減ったことを検知するのが「好き嫌いゲージ」の役目ですからね。
好き嫌いゲージが下がっていることが分かったココロは、感情を通して様々な反応を返してきます。これ以上モトを減らしたらマズイ! と思ったら、防衛反応として「怒り」を感じますし、急激にモトが減ってココロの限界を越えたら「恐怖」を感じます。怒られ慣れてしまって何にも感じないときでも、注目している分だけモトは減ります。
一方で、怒っている上司の方はどうかというと・・・そもそも「怒る」のは、何らかの原因でモトを減らして「モトが減っているぞ」とココロが警告している状態なのでしたね。だから、その「怒り」を他者にぶつけることによって、モトを吸い取って安定させようとしているんです。この場合は叱り飛ばす相手がたまたまいたので、その部下からモトを吸い取って、怒りはいずれ静まっていきます。
こうして、ただただ一方的な
「モトの奪い取り」
が起こって、この場のやりとりは終わります。ですが、モトを減らしてしまった部下は、ココロを安定させるために、どこかからモトを奪い取るか、先程の例のように楽しい会話などで増やすかしないといけなくなります。
(続く)
「ニンゲンのトリセツ」著者、リリジャス・クリエイター。京都でちまちま生きているぶよんぶよんのオジサンです。新作の原稿を転載中、長編小説連載中。みんなの投げ銭まってるぜ!(笑)