【19日目】人間社会にひそむ『大いなる矛盾』への疑問(ジンセイのトリセツ)
◆人生とは何か?という疑問の『答え』
では今回からようやく「ジンセイ」というものの『取扱説明』に入ります。あなたも僕も、やっとここまでたどり着けましたね。
さて、人生というものは「何か」という話がやっと終わりました。
というのが、この質問の「答え」にあたるものです。
これだけでも、今までの「18日分」の話を聞いていないと、チンプンカンプンでさっぱり分からないはずです。でもちゃんと読んでくださったあなたには、理解できるはずです……よね?
問題は、実は「人生とは何かが分かる」ことだけでは解消しないことです……人生の「苦しみ」にあたるものが。なぜなら、僕たちが「生きている間」という『時間』に必ずつきまとう地獄のルール
が僕たちの前に立ちはだかっているからです。
ここでちょっと復習です。
【大いなる矛盾】というのは、僕たち自身が一番「他者にされたくないこと」=「殺されること」を、僕たち自身でやって「他者を捕食」しないと、自分が一番恐れている「死」というものがやってきてしまう、というとてつもない矛盾のことです(他者というのはほかの生き物のことです、念のため……人の肉を食べている人は、多分この中にはいないと思います)。
この【大いなる矛盾】にどう対処していくのか? というのが、結局は「生き方」という話の本質になるのではないかと思っています。
◆大いなる矛盾と「競争社会」
なぜなら、この【大いなる矛盾】のシステムに従って、僕たちは「ほかの人間」に対しても自分たちの『幸せ』を「取り合い」する構造の社会を作っているからです。
この「取り合い」というのは、資源分配……食べ物や水、エネルギーや鉱物といった必要なものを「オカネ」でどう分配するか、という資本主義競争の話だけにとどまらず、パートナーを人間同士でどう獲得するか、という「レンアイ」の話も含まれます。
この二つの現場で何が起こっているのか? という話を中級編でみっちりしましたよね。
中級編の「レンアイ」「オカネ」というのも、ともすれば「取り合い」になるものなんです。僕は、その根幹には先ほどの【大いなる矛盾】という地獄の自然なルールがある、ということが言えるのではないかと考えています。
ですから、弱いものほど生きづらい社会であるのは、当然といえば当然なんです。よく「勝ち組」と呼ばれる「社会の成功者」が
「この世界は弱肉強食、自分は強いから勝者だ」
なんて内容の話をすることがあります。もちろんこれはひどい思い上がりの勘違いなのですが、自然界(地獄)にはこの「弱肉強食」のルールが本当にあったりします(実際は「適者生存」なのですが、もっと表面的に観察すると弱肉強食に見えるものです)。
僕はこういった「競争」というものに否が応でも放り込まれるこの「社会」という場所に、若い頃からずっと疑問を持っていました。これではビンボーでブサイクでヒヨワな『僕自身が幸せになる方法が一つもない』ことになってしまいます。はじめから負けることが確定している競争に参加しないと生きていけない、なんて悲しすぎます。
◆競争の根源は『一番目のモトあつめ』だ
実は、この社会の「競争」、もっと言えば
をずっと考え続け、観察し続けた結果生まれたのがこの
モトの話
なんです。モトという新しい『基準』に照らしてみると、先ほどまでの話に出てきた「競争」というものの『本質』が見えてくるんです。すなわち全ては
モトあつめ
に端を発しているんです。ココロがモトを欲しがっているから、弱いものを叩くという「行動」を取ろうとするわけです。
どうしてか? ほら、『一番目のモトあつめ』ですよ。命を持った別の存在に「注目」されると、自分のココロに対象のモトが入ってくるんでしたよね。
食物連鎖の現場で、食べようとしている相手が自分に「恐怖している」ということは、相手のココロのモトがスッカラカンになっているということです(初級編参照)。それでそのモトはどこへ行ったかというと……なんと「怖がらせた自分」に入るんです。
だから生き物は他の生き物を襲うんです。そうしないと「死ぬ」という生き物どうしの仕組み、すなわち【大いなる矛盾】というものの設計はここに根本があるんです。この仕組みがそのまんま「人間の社会」での人間関係に応用されているから、人間の社会は自然と「競争社会」になってしまっているのです。
この【大いなる矛盾】を抜け出すにはどうしたらいいか……答えはあるのでしょうか?
……あります!! その答えは実は
なんです!!
次回からついにモトの話の奥義「許し」についての話に入ります。お楽しみに!
「ニンゲンのトリセツ」著者、リリジャス・クリエイター。京都でちまちま生きているぶよんぶよんのオジサンです。新作の原稿を転載中、長編小説連載中。みんなの投げ銭まってるぜ!(笑)