【20日目】オカネを「もらう」ときと『オカネの数字』の意味(オカネのトリセツ)
◆オカネをもらうのはどんなとき
今回はオカネを「もらう」ときの話です。
お商売をしていらっしゃる方なら、お客様から直接オカネを「もらう」機会がたくさんあると思います。そのお客様は、こちらが提供する
『価値』
に対してオカネを「使って」いるんだ、というのが前回の話でしたね。
お客が買い物で得られる「モノ」や、技術やエンタメといった「サービス」、こういうものに
『価値がある』
と判断しているから(アタマが無意識に判断することがほとんどですが)、提供側がオカネを「もらえる」わけです。
とはいえ、ほとんどの人は「給与所得者」、つまり、お給料をもらうことで生計を立てていらっしゃるでしょう。これもオカネを「もらう」ケースです。
なぜもらえるのか? というと、働いたからです(当たり前やん! と思った方……前回書いたことを思い出してください、大事なことなんです)。
会社の経営者のために「働く」という「サービス」を提供することで、お給料というかたちで「オカネを支払ってもらっている」というのが給与所得です。これも「サービス」に経営者が「オカネを使った」結果、労働者の手に「オカネ」が渡される仕組みなわけです。
お給料の額が決まるまでにいろいろなことがあるのは存じ上げておりますが……(みんな大変ですよね)、とてもシンプル考えるとこういう形になっているはずです。
ほかには……お小遣いなんてものもあります。
親や親戚が、子供にオカネを与えることがありますよね。これはなぜなんでしょうか?
子供は基本的に、お小遣い以外の収入がないはずです(日常の面倒を保護者に見てもらっている、というのもある意味「収入」ではあるんですが)。ですので、この貴重な「現金収入」をどうするのか? というのを必死に考えるものですし、そうやって「価値」というのを学んでいくものです。それに、どうやって親から小遣いを引き出すか? と考えていく過程で「オカネの動かし方」「価値の見せ方」なども学んでいくでしょう。
お小遣いを渡す側としては、こういう「子供の成長に期待する気持ち」に『価値』を見出している、というわけです。
そのほかにも、「子供」そのものに『価値』を見出しているのかもしれません。先ほどのように将来という楽しみな要素がありますし、何より愛しているでしょうからね。
◆オカネに「数字」が書いてあるワケ
というわけで、お金をもらうとき、というのは
『価値』を提供しているとき
であると言えます。これはやはり、前回書いたような
お金を使うときは『価値』のあるものを手にしたいとき
であるという結論と、ちょうど逆の立場になるはずです。オカネ編の最初に書いたとおり、「使う人がいる分、もらう人がいる」のがオカネというものですからね。
さて、これまたオカネ編の最初に書いたとおり、オカネというものには「数字」が書いてあるはずです。これは、オカネというものに
『量』
があることを表しています。この『量』を僕たちは「金額」と呼んでいますよね。
一方で『価値』というものは「架空の概念」です。アタマの中で「自分にとってどの程度必要か?」と考えた結果出てくるのがこの『価値』というものです。
そうなんです! 本来『価値』というものは
・目に見えない
・触ることもできない
・だけど、確かにある
という性質のものなんです。これを人と人とがやり取りするにあたって、その『価値』が
「目に見えるように」
数字で表しましょう、というのが「価格」「金額」というものなんです。
◆オカネとは価値を「見える化」するものだ
つまりです、オカネというものは何か? という問いに対する答えは、こういうふうになります。
オカネとは『価値』を可視化する試みである
……どうですか? 普段からオカネに触れている僕らにとって、割と「実感できる結論」ではないかと思うんです。
さて、ここで「モト」が出てきます。
入門編でお話したように、目に見えない、触ることもできない、だけど……確かにある。そういうものがもう一つありましたよね? なんでしたっけ?
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「ニンゲンのトリセツ」著者、リリジャス・クリエイター。京都でちまちま生きているぶよんぶよんのオジサンです。新作の原稿を転載中、長編小説連載中。みんなの投げ銭まってるぜ!(笑)