見出し画像

5-2:「個別のドラマ」と「人生の意味」を分けて考える(人生はなぜ辛いのか?と思ったときに読む『モト』の話)

5-2【「個別のドラマ」と「人生の意味」を分けて考える】

「人生の意味」を問われたら

 もし「あなたはの人生は何のためにあると思いますか?」とたずねられたとしたら、どう答えますか?

 この質問には、次のような答えが返ってきそうです。たとえば

・仕事こそが私の生きがいだ。
・有名になって、大きなことを成し遂げたい。
・子供を一人前に育てるのが私の努めだ。
・できるだけお金や資産を増やすのが人生の目的だ。
・たくさんの人を笑顔にしたいと思って生きている。
・恋人や配偶者を幸せにすることが人生のすべてだ。

などなど。

 ほかにも、もっとネガティブな答え・・・たとえば

・人生なんて、死ぬまでの暇つぶしだ。
・私は他の人にすり潰されるまで働く運命だ。
・家族や親戚の奴隷のような人生を死ぬまで歩むだろう。
・どれだけ頑張っても、結局お金持ちにならないまま終わる。
・できるだけ他の人の楽しい人生を邪魔したい。
・そもそも人はいつか死ぬのだから、人生に意味なんてない。

こんな風に言う人も、いるかも知れませんね。

 人生の目的や意味といったものは、文字通り十人十色です。こういった十人十色の「死ぬまでにしようと思っていること」という意味での『人生の目的や意味』といったもののことを、僕は

『個別のドラマ』

と呼んでいます。


「人生の意味」という言葉には二つの意味がある

 どうしてこういったことに「個別のドラマ」なんていうややこしい名前をつけているのかというと、「人生の意味」という言葉には、もう一つの意味があると考えているからです。

 僕が「人生の意味」という言葉を「モト」の視点から使う時は、通常はこの「個別のドラマ」のことを指していません。もう一つの他の意味で使うことがほとんどのはずです。

 それは何かというと、この章のはじめに箇条書きしたようなこと、すなわち

「人生はなぜ「ある」のか」という根本的な疑問に対する答え

を指しています。


「個別のドラマ」の先にあるもの

 先程挙げたような「個別のドラマ」には、それぞれの解法・処方せんのようなものがありますよね。たとえば

・仕事が生きがい → ビジネスや技術を磨く
・有名になる → 一芸を極める
・子育てを頑張る → 育児や教育に力を入れる
・資産を増やす → 財テクを学ぶ
・笑顔をふやす → ボランティアや人道活動など
・恋愛に生きる → モテ・テクニックやおしどり夫婦の秘訣を学ぶ

といった具合です。

 さらに、これらはそれぞれにいくつもの方法論があって、そしてケースバイケースなので、人それぞれのやり方みたいなものもありますよね。だから、本当に星の数ほどの「解法・処方せん」があるわけです。

 ですが・・・それら全てに共通するものがあります。それが

「人生がすでに『存在』している」

という純然たる事実です。

 当たり前の話に思えるかもしれませんが、僕たちはすでに「生まれてしまっている」のです。だからこそ死ぬまでの時間を「どう過ごすか」考えることができるわけです。

 しかしながら、さっき挙げたようなネガティブな「人生の意味」を胸に、ただただ死ぬまでガマンし続けるような、そんな苦しいあきらめの日々を送っている方も、少なからずいます。そうなると・・・人生はとても辛いものだという結論に至るのも、無理はないと思います。


モトを通して「個別のドラマ」のさらに奥へ

 僕がモトの概念を通じてみなさんにお伝えしたいことは、先に挙げたような「個別のドラマ」の処方せんではありません。それはそれぞれの専門家におまかせしようと思います。

 ですが・・・「モトの概念」を通して世界を見ると、それらのさらに奥にある、本当の意味での「人生とは何か」という問い、言い換えると

「人生とはどういう「現象」なのか」

という問いの答えが、あっけなく見えてきます。それも、これまで多くの本や歌や詩や論文に書かれてきたような、あいまいでウスラボンヤリしたような表現ではなく、きちんと「理屈で解説できる言葉」で、書き記すことができるのです。

 では、次の項からさっそく、それを紐解いてきましょう。

(続く)

「ニンゲンのトリセツ」著者、リリジャス・クリエイター。京都でちまちま生きているぶよんぶよんのオジサンです。新作の原稿を転載中、長編小説連載中。みんなの投げ銭まってるぜ!(笑)