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【7日目】モトを「奪う習慣」とカンジョウ(カンジョウのトリセツ)

◆一番目の「奪う」モトあつめと『習慣』

 前回までは『二番目のモトあつめ』についての話を書いてきましたが、僕たちは普段、特に意識をしていないと

『一番目のモトあつめ』(「奪う」モトあつめ)

をやってしまうものです。なぜなら、一番目のほうが圧倒的にカンタンだからです。

 本当にカンタンなんです。ただ単に「注目される」だけでいいんです。方法は何でもいいんでしたね。大声で怒鳴る、食べ物を差し出す、肩をたたいて振り向かせる、変な踊りを踊る、などなど何でもいいからこっちを向いてもらえさせすれば、モトというものはこちらのココロに入ってくるんです。

 だからなんです、現在の僕たちの社会では、普段から

「いかに相手からモトを奪うか」

を無意識に考え、実行しながら生きている人がほとんどなんです。人前に出て、どうやって相手からモトを奪うか、みんなそればかりを考えて生きているんです。

 ここで思い出してほしいのは「習慣」という話です(入門編でお話ししました)。習慣というのは脳(アタマ)の機能で「昨日あったことが今日もあるだろう、今日起こったことが明日も起こるだろう」という予測のもとに判断・行動することです。
 これはこれで便利な機能なんですが、対人関係においてもこの「習慣」がしょっちゅう使われます
 そして、さっき書いたとおり、人と接するときに『一番目のモトあつめ』を「習慣化」している人もたくさんいるんです。昨日会ったあの日に「どうせこの人はこうだから」という決めつけをして、そのとおりに行動しようとするわけですね。あなたにも心当たり、ありませんか?
 そしてもちろんあなたに対して「この人はこういう扱いをしても大丈夫」という感じで、イヤなことを毎日してくるような、そういう困った人も世の中にはたくさんいるものです。こちらも、心当たりがあるんじゃないですか?

◆ウザい両親と「一番目のモトあつめ」

 ちょっと例を考えてみましょう。例えば、ご両親のこんな行動です。

・すぐに「〇〇はできたの?」「〇〇はどうなの?」とおせっかいなことをいうウザい母親
・こちらの顔を見るたびに「ゴラァ!」と怒鳴ってくるコワい父親

こういうご家庭もあると聞きますが、おかげで子供がすっかり参ってしまい、家に帰りたくなくなってしまう、なんて話もあるようです。

 こういうご両親がなぜこうするのかというと、結局は「自身のモトあつめ」を、完全に無意識に「習慣」で行っているからなんです。

 このご両親は当然「モト」のことなんて知りませんので、これをやると「気分が少し落ち着く」「少しスッキリする」という、なんというか、とても感覚的な行動なのだと思います。

 母親の例でいうと、子供の将来や自分のママ友との競争などが「心配」で、ついついそういうおせっかいなことを言うのだと思います。「心配」している、ということは、モトが減っている、ということでしたね(ネガティブな気持ちは「好き嫌いゲージ」が下がっている証拠=モトが減っている)。この「減ったモト」を取り戻しなさい、というココロの命令が「ハラハラする」という心配の感情なので、この感情に任せて行動しているわけです。

 もちろん、これも「習慣」です。この母親は「私がおせっかいを焼くと子供がイライラするかも」とか特に何も考えていないので、自分のモトを子供のモトで補う「習慣」ができているんです。こうして、心配事を直接子供にぶつけることで、母親の「モトあつめ」が行われるわけです。

 父親の例もそうです。子供が大声に反応して「ビクッ」となる姿を見ると、ココロにモトが入ってくるんですね。たったこれだけのカンタンな方法なので、習慣的にどんどんやるんです。

 ここでは「母親」「父親」と書きましたが、これはイメージしやすい例を出しただけで、特に性別には関係ありません。すぐ怒鳴る母親も、心配性の父親も、同じ理屈で同じように「習慣によるモトあつめ」を行っています。

◆モトを「奪わせない」「奪わない」ための『新しい習慣』

 また、家庭だけでなく社会でも、こういう『一番目のモトあつめ』をあなたに対して習慣的に行ってくる人はたくさんいますよね。

 例えば、すぐ嫌味を言ってくる上司や、必ずなにかイジワルをする先輩とか。
 仕事の指示を出して、わざと「ミスしやすい点」を隠しておいて、あとでそのとおりのミスをすると「ホレ見たことか」とクドクド文句を言ってくるような人……そんな経験、ありませんか?

 こういうイジワルをするのも、モトあつめをするためです。叱られているときというのは、叱ってくる相手に注目をしないといけませんよね? そうすると、叱った方にモトが一方的に流れ込んでいくんでした。こういう「モトの流れ」を意図的に作り出して、モトあつめをしているんです。これも「習慣」のようなものです。

 ここでまず問題なのはこういう「モトを奪ってくる人たち」に対して
「僕たちはどうすればいいのか?」
ということではないかと思います。

 こういう人たちに「僕のモトを取らないで下さい!」なんて言っても通じるわけがありませんよね。だって、モトのことなんておそらく知らないし、考えたこともないでしょうから……モトの知識があって、普段から「モト」の流れを意識して生活している人は「絶対に」そんなことをしません。もっと効率のいい「モトあつめ」があると知っているからです。

 そしてもう一つ問題なのは
「自分自身が「そういうモトあつめ」をやっていないか?」
という点です。

 だれか特定の相手(恋人や親や兄弟や友人など)についつい嫌味やイジワルを言ったりやったりしてしまう、寂しいからとついつい「構ってちゃん」になってしまう……自分にそういうモトあつめの「習慣」ができていないか? と、ちゃんと考えてみたことありますか?
 ことわざにも「まずは隗より始めよ」とあります。まずは自分自身のそういう「奪うモトあつめの習慣」を知り、そういうことを意識的に改めていくと、自分や周囲の「モトの循環のさせ方」が変わってきたりします……はっきりと気がつくレベルで変わりますよ。

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日南本倶生(みゅんひはうぜん)
「ニンゲンのトリセツ」著者、リリジャス・クリエイター。京都でちまちま生きているぶよんぶよんのオジサンです。新作の原稿を転載中、長編小説連載中。みんなの投げ銭まってるぜ!(笑)