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望まない経験は、何のため?

皆様、こんにちは!

お元気で、いらっしゃいますか?

つい最近、朝起きた時に、はっと、わかったというか、深く腑に落ちたことがあったので、自分が忘れないためにも、そして私自身が、非常に楽になったので、もしかしたら、どなたかの役に立つこともあるかもしれないと思い、書く事にしました。

メモのようなもので、読みにくいかもしれませんが、ご了承ください。

また、自分で、今後読み返したときに、深く腑に落ちた感覚をはっきりと思い出せるように、書きましたので、長くなってしまいました。お時間のある時にでも、読んでくださったら幸いです。


望まない経験というのは、本来、いやな気持ちを味わうためにあるのではなく、この気持ちは私が望むものではない、とはっきりと認識できるようになるために存在しているのではないか?
そうならば、そのような経験をする度に、嫌な気持ちになり、感情にふりまわされる必要は一つもなく、ただ単に、あ〜この気持ちは、私の望むものではないんだよなと、その都度、認識するだけでいい。

よく、いやな感情を味わいつくすと、その感情は消えて行くといわれるけれども、味わいつくす必要があるのは、その感情が自分の望むものではない、と言う認識に至るまでであり、一旦その認識に至ったならば、もうその都度、味わう必要はない。
あなたが、ありとあらゆる感情が流れてくるべルトコンベアーの前に立って、自分が経験したい感情を選んでいる、と想像してみてください。自分の望まない感情が運ばれてきたとしても、これは私の望まない感情だなと、ベルトコンベアーの流れ作業のように、ぱっぱっと認識できれば、それを選ばない ( 味あわない )ようにするだけでいい。
つまり、ある感情が自分の望む感情ではないことを、はっきりと認識することができたなら、もうその後は、その感情をわざわざ選択して味わうことはなく、目の前から流れ去って行く、ということを言っているのだと思う。

もし、まだ、いやな気持ちになるとすれば、無意識では、まだその感情を味わいたいと思って選んでいる、という事だと思う。そうは言っても、それはつらいし、もう本当に御免なので、その時は、自分が本当に味わいたい感情はどんなのかな、と考えてみる。

ある事について、味わいたい感情を味わうために、考え方を変える、というのが、よくとられる方法かも知れないが、どうしても考え方を変えられない時は、一旦その事から離れその事とは無関係に、味わいたい感情 ( 例えば、ホッとして、あ〜嬉しいな、良かったなという感情 ) を少しでも味わえる事 ( お風呂に入ったり、美味しいお茶を飲んだり、好きな写真を見たり、簡単なことでいい ) をしてみる。

こういう心の柔軟体操のようなことを、こつこつとくりかえしていると、ある事に対して、自分で条件反射のように選んで (  味わって ) 、自分を苦しませていた望まない感情をその事から切り離していくことができるようになる。

そうすると、自分が思い悩んでいたことに対して、いつの間にか以前とは別の、自分の心がふっと緩むような、ほっとできる考え方が出来るようになることがよくある。

それは、あることにほとんど自動的にくっついて来る自分の望まない感情を、そのことから切り離すことで、より客観的に見られるようになり、その感情は自分が望まないものなのだよ、と認識しやすくなった、ということである。
そうなれば、その感情との関係はそこで終わり、終了〜!で、もはや、それは選ばれることはなく、そのまま流れ去っていくのである。


以上です。


皆様が、健康で幸せでありますように!












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