【大晦日編】奇跡のサンライズ出雲の旅④
今後貴重な初詣
おそらく今度の年末年始の初詣は、自粛になるんだろうと思う。
ボチボチ書いている、出雲大社初詣は、こんな季節はずれになってしまったけれど、貴重なバーチャル初詣になるかもしれない。
前回は、大祓祝詞で悩んでしまったが、その祝詞がどのような経過でできたかはそれはそれとして、長年の人々の思いのこもった言霊と言うものは間違いなくある。そう思って、6月末は大祓だったので、いつも通りに大祓祝詞を唱えた。近所の神社で、茅の輪もくぐった。
出雲大社本殿へ
祓社で罪穢れを払ってから、出雲大社本殿に向かう参道を歩く。大晦日ということで人がいない。あと半日でごった返しになるだろうから、ゆっくりと噛みしめながら歩く。
正直歩いた印象は、思ったよりこじんまりとして質素だということだ。伊勢神宮には初詣も含めて何回か行ったが、内宮にしても、外宮にしても、それぞれ本殿ひとつとってもかなり距離があり、さまざまな荒御霊も祀られている。フルマックスで歩いたら、ヘトヘトになってしまうくらいだ。天下をとったヤマト政権ゆえのものかもしれない。荘厳な大きな力を感じざるを得ない。
一方、個人的には、無骨で質素な出雲の雰囲気も、私は好きだ。
人がいない間に、出雲ならではのしめ縄を写真を撮ったりじっくり堪能する。御朱印も本来なら新年がいいけれど、大晦日のうちにもらってしまった。すでにご祈祷している人がいて、社務所の方に相談してみたら、どうせだったら明日が良いですよとアドバイスされた。社務所の方々も、伊勢神宮と違って、ほんとに地域の方々と言う素朴な(失礼ながら、田舎のおじさん的な)感じだった。
出雲大社の不思議
一般の神社においては、多くは御神座の向きは社殿の向きと一致している。 しかし、 出雲大社では社殿は南向きであるのに対して、御神座は西向きである。
いくつか諸説があるが、よく言われるのは、大国主命の父、スサノオノミコトを祭る社が本殿の後ろにあり、背を向ける訳にはいかないという説。
八百万の神々がが“稲佐の浜”からお越しになる為、その方角を見ているという説。
なので、本殿をを参拝して、ぐるりと回って西側で再び正面から大国主にご挨拶をする。
むしろ西側の方が列ができていたが、なにぶん大晦日なのでそんなに並ばなくて済んだ。
本殿南側には、素戔嗚社があり、出雲大社で1番のパワースポットなどと言う触れ込みもあり、かなりの人が並んでいた。並ぶだけあって、稲佐の浜の砂を持っている人もいっぱいいた。私もリュックいっぱいの砂を奉納して、代わりに奉納してあった砂を常識の範囲内でたくさんいただいた。その砂は、自宅周りに厄除けに撒いた。全部巻いてしまうのは惜しくもあったので、今も玄関先に少しだけ袋に入れて大事に保管している。
しめ縄は、やはり想像通りとても大きなものだった。そして、出雲ならではの二礼、四拍手、一礼。皆さんそこは勉強されているようで、誰もがそれをやっていたが、やはりいつもと勝手が違うので、戸惑いながらやっているようだった。私も、どうも間の取り方がわからなく、なんとなくしっくりは来なかったのが正直な感想だ。
おみくじやお守りは、新年を迎えてから買おうと、まずはホテルに休憩に戻った。
初詣に備えて、禊祓い
旧年中の汚れを落とそうと、酒風呂に入るかと思いたち、駅で地酒のカップを買った。お酒は体調崩してから飲まないようにしていたので、ちょっと味見をする位で我慢をして、ぜいたくなホテルの酒風呂だった。
出雲電鉄の時刻を見て、おそらく混むのは間違いないので、早めに駅に行こうと、仮眠をすることにした。
ちなみにこの時は、年下の男友達が、出雲大社に一人旅をした経験があって、LINEや電話でナビゲートをしてくれた。なので、一人ぼっちと言う感じもなく、いろいろ小ネタも教えてもらって、それはそれで楽しい旅だった。お互い幾ばくかの恋心もあったかと思うが、後々、先方の事情もあり、友人としても疎遠になってしまった。でも出雲大社に行く前に、神社好き、電車続きとして友人になったのは、これもご縁だったと思う。