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【祓社編】奇跡のサンライズ出雲の旅③


いざ出雲大社へ

「稲佐の浜」から、神様の通る坂道を上り、息を切らせながら、「出雲大社」前にたどりついた。(坂道であったうえ、方向音痴のため住宅路に迷い、リュックの砂も重かったのだ。)

大晦日の出雲大社は、空いていており、神社特有のを感じることができた。今回の旅行のためにアマゾンで買った自撮り棒を早速iPhoneにセッティングし、出雲大社と刻まれた石碑や木製の「勢溜の大鳥居」をバックに、初自撮り。

昔、林家パー子のように(古い…)、いつもカメラを持ち歩き、自撮りも含めて写真を撮りまくっていた。いつの頃からか、「あれ?鏡でみる自分と違う…」「もっとイケてたはず…」と思うようになり、写真嫌いになったのだ。鏡で見る映像は真実ではなく、写真に写った姿が真実の姿なのだそうだ。何のことはない、経年劣化しただけなのだろう。こんなところで、虚勢を張る訳ではないが、一応、年齢不詳で通っている(たぶん)。そんなこんなで、写真は正直なので、ガッカリすることもあるが、変なプライドよりも、自分がその場に行ったのだという証(あかし)を自分史に刻みたくなり、急遽買ったのだ。初自撮りの結果は、顔もこわばり微妙だったが、出雲大社に降り立ったという緊張感が感じられ、いい思い出となった。

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(自撮り写真を載せる勇気はありません…)

祓社(はらえのやしろ)

「勢溜の大鳥居」をくぐったら、まず最初に行くべきところは、「祓社(はらえのやしろ)」。参道の右手に見える小さなお社だ。気が付かずに通り過ぎていく人も多い。ここでお参りをして心身の穢れを祓い清めてから、大国主大神様にご挨拶をするのだ。いわゆる「祓戸四神」が祀られている。「祓戸四神」とは、どのような神か。ご存じの方もいると思うが、少し、書きたいと思う。古事記や日本書紀などには一切記載がなく、最強の言霊の祝詞「大祓詞」にしか登場しない神々である。「大祓詞」は、1300年以上唱えられ続けている最強の言霊の一つである。全国の神社で、6月30日と12月31日に大祓の神事が行われる。茅の輪をくぐって、半年の間に溜まった、罪穢れを払うのだ。

私は、4年前までは、神社仏閣や信仰について、拒否反応を持っていた人間であった。だが足元をすくわれるような思わぬ大病を経験し、これまでのがむしゃらな生き方に疑問や後悔を持ったことに加え、自分の悪運の強さ、というか、ご先祖様か何らかの神様かに守られた、生き方を気づかされたという意識を持つようになった。その経験については、いつか書きたいと思う。きっと、誰かの励みになる体験談かもしれないが、まだ、そこまで吹っ切れてはいないのだ。

そんなことで、4年間毎朝「大祓詞」を神棚で唱えるのが日課だ。下記に全文を書いたが、今では見なくても唱えられる。

「祓戸四神」の中では、「瀬織津姫」が、少し前から注目されており、昨今はかなりメジャーになった。映画「君の名は」等、新海誠の作品には、瀬織津姫等の古代日本の神々の伏線がたくさん敷かれている。また、天照大御神は男神で、その妃が瀬織津姫だったとか、様々な解釈がある。罪を祓うほどのパワフルな力を持ちながら、謎の多い女神であり、隠された女神である。これも別の機会に書こうと思う。

私は、強烈な雨女であり、温泉やプール等とにかく水に浸かると落ち着き、住むところは必ず川や海が近い。スピリチュアル的に言えば龍神系というやつかもしれない。そのようなことから、瀬織津姫に対して、大病後、ある種の信仰を持つようになった。下記の「大祓詞」後半の「祓戸四神」が登場するくだりでは、自らの穢れを根こそぎ払っていただいている気持ちで、毎朝祝詞を唱えている。

大祓詞(全文)

高天原に神留まり坐す(たかあまはらにかむづまります)皇が親神漏岐神漏美の命以て(すめらがむつかむろぎかむろみのみこともちて)八百万神等を(やほよろづのかみたちを)神集へに集へ給ひ(かむつどへにつどへたまひ)神議りに議り給ひて(かむはかりにはかりたまひて)我が皇御孫命は(あがすめみまのみことは)豊葦原瑞穂国を(とよあしはらのみづほのくにを)安国と平けく知食せと(やすくにとたひらけくしろしめせと)事依さし奉りき(ことよさしまつりき)此く依さし奉りし(かくよさしまつりし)国中に(くぬちに)荒振神等をば神問はしに問はし給ひ(あらぶるかみたちをばかむとはしにとはしたまひ)神掃へに掃へ給ひて(かむはらひにはらひたまひて)語問ひし磐根樹根立草の片葉をも(こととひしいはねきねたちくさのかきはをも)語止めて(ことやめて)天の磐座放ち天の八重雲を(あめのいはぐらはなちあめのやへぐもを)伊頭の千別に千別て(いづのちわきにちわきて)天降し依さし奉りき(あまくだしよさしまつりき)此く依さし奉りし(かくよさしまつりし)四方の国中と(よものくになかと)大倭日高見の国を(おおやまとひだかみのくにを)安国と定め奉りて(やすくにとさだめまつりて)下津磐根に宮柱太敷き立て(したついはねにみやはしらふとしきたて)高天原に千木高知りて(たかまのはらにちぎたかしりて)皇御孫命の
(すめみまのみことの)瑞の御殿仕へ奉りて(みづのみあらかつかへまつりて)天の御蔭日の御蔭と隠り坐して(あまのみかげひのみかげとかくりまして)安国と平けく知食さむ(やすくにとたいらけくしろしめさむ)国中に成り出む(くぬちになりいでむ)天の益人等が過ち犯しけむ(あめのますひとらがあやまちおかしけむ)種種の罪事は(くさぐさのつみごとは)天津罪国津罪(あまつつみくにつつみ)許許太久の罪出む此く出ば(ここだくのつみいでむかくいでば)天津宮事以ちて天津金木を本打ち切り(あまつみやごともちてあまつかなぎをもとうちきり)末打ち断ちて(すえうちたちて)千座の置座に置足はして(ちくらのおきくらにおきたらはして)天津菅麻を本刈り断ち末刈り切りて(あまつすがそをもとかりたちすえかりきりて)八針に取裂きて(やはりにとりさきて)天津祝詞の太祝詞事を宣れ(あまつのりとのふとのりとごとをのれ)此く宣らば(かくのらば)天津神は(あまつかみは)天の磐戸を押披きて天の八重雲を(あまのいはとをおしひらきてあまのやへぐもを)伊頭の千別に(いづのちわきに)千別て(ちわきて)聞食さむ国津神は(きこしめさむくにつかみは)高山の末低山の末に登り坐て(たかやまのすえひきやまのすえにのぼりまして)高山の伊褒理(たかやまのいぼり)低山の伊褒理を掻き別けて(ひきやまのいほりをかきわけて)聞食さむ(きこしめさむ)此く聞食しては(かくきこしめしては)罪と言ふ罪は在らじと(つみといふつみはあらじと)科戸の風の天の八重雲を(しなとのかぜのあまのやへぐもを)吹き放つ事の如く(ふきはなつことのごとく)朝の御霧(あしたのみぎり)夕の御霧を(ゆうべのみきりを)朝風夕風の吹き掃ふ事の如く(あさかぜゆうかぜのふきはらふことのごとく)大津辺に居る大船を(おおつべにをるおおぶねを)舳解き放ち(へときはなち)艪解き放ちて(ともときはなちて)大海原に押し放つ事の如く(おおうなばらにおしはなつことのごとく)彼方の繁木が本を(おちかたのしげきがもとを)焼鎌の利鎌以て打ち掃ふ事の如く(やきがまのとがまもちてうちはらふことのごとく)遺る罪は在らじと(のこるつみはあらじと)祓へ給ひ清め給ふ事を(
はらへたまひきよめたまふことを)高山の末(たかやまのすえ)低山の末より(ひきやまのすえより)佐久那太理に落ち多岐つ(さくなだりにおちたきつ)

早川の瀬に坐す(はやかわのせにます)瀬織津比売と伝ふ神(せおりつひめといふかみ)大海原に持出でなむ(おおうなばらにもちいでなむ)此く持ち出で往なば(かくもちいでいなば)荒潮の潮の八百道の八潮道の(あらしほのしほのやおあひのやしほじの)潮の八百曾に坐す(しほのやほあひにます)速開都比売と伝ふ神(はやあきつひめといふかみ)持ち加加呑みてむ(もちかがのみてむ)此く加加呑みては気吹戸に坐す(かくかがのみてはいぶきとにます)気吹戸主と伝ふ神(いぶきどぬしといふかみ)根国底国に気吹放ちてむ(ねのくにそこのくににいぶきはなちてむ)此く気吹放ちては根国底国に坐す(くいぶきはなちてはねのくにそこのくににます)速佐須良比売と伝ふ神(はやさすらひめといふかみ)持ち佐須良比失ひてむ(もちさすらひうしなひてむ)此く佐須良比失ひては(かくさすらひうしなひては)罪と伝ふ罪は在らじと(つみといふつみはあらじと)祓へ給ひ清め給ふ事を(はらへたまひきよめたまふことを)天つ神国つ神八百万の神等共に(あまつかみくにつかみやほよろづのかみたちともに)聞こし食せともうす(きこしめせともうす)

最強の「祓い」

初めて「伊勢神宮」に行ったときに「瀧原宮」瀬織津姫を思いながら「大祓詞」を唱えた。そして、今回は「出雲大社」で、またお会いできると楽しみにしていた。ひっそりと、小さな社。誰もいなかった。息を大きく吸って、祠の前に歩み寄り、手を合わせようとしたその瞬間、大きな雹(ヒョウ)が、皮膚が痛いほど、バラバラと大量に降ってきた。地面に落ちた雹(ヒョウ)は、その勢いから大きく跳ね上がり、上から下から体に当たるのだ。リュックから折り畳み傘を出してみたが、使い物にならなかった。

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(あまりの雹(ヒョウ)に祓社の写真はとりそこねてしまった。唯一撮ったピンボケ写真。白い点々が雹(ヒョウ)の欠片)

この不自然な現象は吉なのか凶なのかとまどいながら、体中に雹(ヒョウ)が当たり痛みを覚えながら、まるで、滝行のように、この場に来ることができた感謝をひたすら申し上げた。

深く一礼をし、祓社を出ると、雹(ヒョウ)はピタッと止んでしまった。もちろん、ただの偶然かもしれない。もしくは不吉な出来事なのかもしれない。しかし、4年間「大祓詞」を毎日唱え、罪穢れを祓い、「伊勢神宮」瀬織津姫に五十鈴川に罪穢れを祓っていただくよう「瀧原宮」で「大祓詞」を唱えた。そして、今回は「出雲大社」で、瀬織津姫に、またお会いできると楽しみにしていた。それゆえに、私としては、「最強の祓い」をしていただいたと、そう捉えた。12月31日の大晦日に、根こそぎ罪穢れを祓っていただいたのだ。身も心もきれいになった私は、いよいよ、本殿に向かって参道を歩き始めた。

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(大晦日の日中。夜半には本殿まで2時間程度の列に並ぶこととなる。)

次回④に続く(【列車編】【稲佐の浜編】も、よろしければご覧ください)

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