【お試し読み】二軍のTシャツは捨てよ、出番はない
※電子書籍の試し読みはダウンロードのところが多いため利用しにくいというような話を耳にして、おなじ量でのお試し読みを、ここnoteに作成してみました。
※つづきの電子書籍以外での公開予定はありません。
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忘年会続きで毎晩遅くなり、ただ帰っては眠るだけという生活にも、そろそろ終わりが見えてきた。
金曜日の夜だ。年内の出勤はもう残すところ数日だということもあって、ついつい気が大きくなり、古くからの友人とのおしゃべりに夜更かしを始めていた。
電話の向こうの久子も、きっとおなじだろと思う。少し前から話し声にはずみがついている。
「金井先生、お孫さんができるんですって」
「えっ、先生ってまだ五十歳くらいでしょう?」
孫という言葉にも驚いたけれど、私は自分が先生の正確な年齢を覚えていないことにもびっくりした。
「子供ができたときも孫ができたときもキミたちと一緒か、なんて言って先生、笑ってたわよ」
私の問いに答えなかったところをみると、久子も先生の年齢を正確には記憶していなかったのだろう。
卒業以来ずっと何年かに一度のペースで高校の同窓会が開かれている。今年は十数年ぶりに、担任だった金井先生も参加することになって、ふだんよりも豪華な会場で大がかりな会が催された。
私もできれば参加したかったのだけれど、大学時代の友人の結婚式と日程が重なってしまい、やむなく欠席していた。
楽しかった会の状況を久子がつぶさに報告してくれる。
「先生が着てらしたコートのポケットから文庫本がのぞいていてね、それがボロボロで角も丸くなった智恵子抄だったの。なんだかすごくいいなって思っちゃった。ああ、この本はずっと先生の傍らにあったんだなって」
「先生の愛読書だからって読書感想文の課題本になったよね。懐かしいな、智恵子抄。また読んでみようかしら。読書っていえば、久子は最近どんなの読んでるの?」
「そうだな、最近まで人生何度目かのミステリーブームだったんだけど、そろそろ違うものも読みたいかなって思い始めた感じかな」
安達太良山や彫像や千代紙や、智恵子抄の中にでてくる象徴的なものが取り留めなく浮かんでいた私の頭に、トレンチコートと虫眼鏡が加わった。
「久子はミステリーかぁ。私は、お気に入りの小説をなんとなく引っ張り出しては読み返しているだけで、新しいのはとんとご無沙汰なんだ。私も読んでみようかな、ミステリー」
「なに、読むものに迷っている感じ? そしたらさ、一緒に読書会、行ってみない?」
「なぁに、読書会って?」
「SNSで見つけた、読書サークルみたいなもんかな。本を紹介しあったり、朗読会をしたり、書評を述べあってディスカッションをすることもあるらしいよ。名刺交換とかなしだって言うし、このへんではちょっと有名な店を使って開かれるから、参加してみたいなって思ってるんだけど、思ってるだけでそろそろ一年くらいになるかな。ずっとネットの中で交流してるだけだったのよ。でもちょうど次回はテーマがゆるいから、誰か一緒に行かないかなって、誘えそうな人を考えてたんだ」
「一時期流行った異業種交流会とか、そんな感じ?」
「まあそうね、もっと趣味の集まりみたいな部分が強いとは思うけど。文学論とかテーマになっている日は小難しい話が好きな人ばっかり集まってくるらしいから、そういうところに行くのはキツイと思うけど、今回のテーマは森上由美子なのよ。京子も好きでしょ、森上由美子」
「うん、全作読んでいるわけじゃないけどね」
「それは私もおんなじよ。来年の夏に森上由美子の新作が出るらしいの。大みそかに正式発表があるんだとかで、今すごく盛り上がってて。新作発表を受けてどう思うかとか、期待値はどれくらいかとか、そういうことを話のとっかかりにして集まりましょうって」
「新作もミステリーなのかしら」
「ミステリーの女王、森上由美子だもの、ミステリーに決まってるわよ。会はね、年が明けてわりとすぐだったと思う。ちゃんと調べておくから考えといて」
思ってもみなかった話題で長電話は終わった。
長時間の使用で熱を帯びているスマートホンをホルダに立てかけると、私は本棚代わりにしているカラーボックスを漁って、森上由美子の単行本を一冊、引っ張り出した。
情に深く、それ故に人に騙されてしまうことも多い大富豪のおじいちゃんが度々巻き込まれてしまう事件を、高校生の孫娘が解決していくお話だ。
この小説を初めて読んだとき、私も主人公とおなじく高校生だった。
謎解きだけではなく、笑ったり、泣いたり、人の心を大きく揺さぶる、今では森上ワールドはここから始まったと言われている長編を、私は発売されてすぐに読んだ。
あれから何度、この本を読み返したことだろう。トリックも犯人も、どこで笑ってしまうか、どこで涙が出るかも、すべてわかっているのにそれでもまた読みたくなってしまう、大好きな一冊だった。
もくじは飛ばして、最初の一行を目で追う。
読み始めてしまったら最後、もう途中で放り出すことはできない物語の世界へ、私は一瞬にして引っ張り込まれた。自分が高校生になったような気がする。私がおじいちゃんを助けなくっちゃ。
結局、窓の向こうに新聞配達のバイクの音を聞くころ、私は読み終えた本を閉じ、ベッドへ潜り込んだ。
久子は高校時代からの親友だ。おなじクラスで、おなじ部活で、姉妹のような時間を過ごし、卒業後、一緒に居る時間は減ったものの、三十を過ぎた今でも関係は続いている。
今よりもずっと暗く、ひとりで物思いにふけりがちだった私は、久子によってふつうの、いわゆる女子高生らしいおしゃべりや遊びの場へと連れ出された。
私は幼いころから、忙しい両親を本を読んで待っていることが多かった。
朝、保育園やおばあちゃんの家へと出かけるときには、たくさんの本や書類が入った重そうなバッグを持つ父に、自分の絵本も持って出てくれるようにとせがんだ。そして家に居てもなにかというと机に向かっている母の真似をして、テーブルの上に広げた絵本を静かに読んでばかりいた。
本があればひとりで平気だった。何時間でも本の中を空想の世界へと出かけていけた。
小学校も高学年になると、私は好んでひとりになるようになった。
ひとりでできることもワザワザ連れだってする同級生の女の子たちが子供っぽく思えて、苦手だと感じるようになった。誘われたらおなじようにするのが当たり前だと思っている女の子たちのことを面倒に感じた。誰かと一緒にいるよりも、ひとりで過ごす方が楽だった。
やがて私は同級生の女の子たちから距離を取り、自分の世界に閉じこもるようになった。
ロマンチックな言葉の散りばめられた詩に可愛い女の人の写真を添えて本にする作家に憧れ、詩集とおなじ世界を自分の頭の中に作り上げて、夢見がちな思春期を過ごした。
そんな暮らしがずっと変わらないと思っていたけれど、久子に出会って私は変わった。
久子と過ごす高校生活で、同級生の女の子たちにこれまでのような煩わしさを感じることが減り、自分の世界だけではなく、実在する日常の中で、ふつうに女の子たちと行動できるようになっていった。
出会ったばかりのころ、私には久子が自分と同じように見えた。
久子は朝の教室でホームルームまでの短い時間を読書に費やしていた。他の女の子たちが頭を突き合わせてひそひそとおしゃべりを楽しんでいるのには目もくれず、比較的早いペースでページをめくっていた。
どんな本を読んでいるのだろう、どんな世界へ出かけているのだろう、私は久子の姿を目にする度に考えるようになった。
久子が読んでいる本はいつも可愛いパンダの絵が描かれたブックカバーに包まれていて、比較的厚みのある文庫本であること以外に読みとれる情報はまったくなかった。
「なに読んでるの?」
雨ばかりが続いた五月のある日、学生カバンを濡らさない方法を考えることに気持ちが向いてしまって読書に集中できず、本を閉じたところで私は声をかけられた。
声の主は久子だった。私が久子を気にしていたように、久子も私のことを見ていたのだった。
このときの私は、ちょうど歴史小説を面白いと思い始めたばかりで、伊賀忍者が主人公の古い歴史長編を読んでいた。忍者アニメで見ていたような伊賀忍者と甲賀忍者の忍法合戦が描かれたシリーズをきっかけに、忍者つながりで歴史小説の大家へと手を伸ばした。
そんな本のタイトルを告げると、
「へぇぇ」
意外な答えだったようで、久子は少し間の抜けた声を出した。
「あなたこそ、なにを読んでいたの?」
私がそう問い返すと久子は心理学をベースにしたサイエンスフィクションとして話題の小説の表紙を見せてくれた。
読書の好みはまったく異なっていたけれど、この日をきっかけに私と久子は話をするようになった。
おなじ読書好きでも、久子は私と違って読書以外のことにも積極的で、なにより社交的だった。
久子は誰がどんなことに興味を持っているかに関心があって、久子自身もいろんなことを試してみようとしているみたいに見えた。髪形や男のコの話題で盛り上がる女のコの輪に積極的に近づいて、話に加わることも多かった。
そして久子は度々そういうことに、やんわりと私のことも巻き込んだ。
私がクラスで孤立することもなく高校時代を過ごせたのは久子の力によるところが大きい。
私ひとりでは仲良しグループの会話に入っていくことはできなかったけれど、そういうところはいつも久子がうまくリードしてくれた。
久子に手招きされてクラスの女のコたちの輪に混じると、いつの間にか、流行の編み込みヘアの練習台になったり、放課後アイスクリームを食べながら帰ることになったり、あたりまえのようにクラスの女のコたちと行動できるようになっていた。
つづきは電子書籍で読んでいただけると幸いです。
「二軍のTシャツは捨てよ、出番はない」(いるかネットブックス)